賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >さらに実戦的ストップについて

さらに実戦的ストップについて


立ち止まってのストップもときには使わねばならない

 前号で実戦的ストップは常に動きながらやれと強調したが、実は立ち止まってのストップが戦術的には必要なときもまたあるのだ。矛盾したことをいうようだが、なぜそういうかを少し説明しよう。試合中に起こる場面を見ていると、どちらかの方向に動きながらやった方がよい場面が圧倒的に多いにもかかわらず、その場面で立ち止まってしまいがちなのがいまの日本サッカーの大きな欠陥となっている。
 そこで、なぜそうなるかを考えてみると、そのほとんどは、動きながらやると(主として敵が自分の前にいる場合だが)敵に奪われはしないかの不安があることと、受けたあと何をすればよいかの判断がまだつきかねていることとによるようだ。前者は動きながらではまだボールを直ちにコントロールできないというボール技術上の未熟さであり、後者は事前に状況判断をしていないという戦術的な未熟さである。
 という関係は実戦的技術として総括することができるのだが、その未熟さがいまの日本のサッカーではあまりにも大きなマイナスを試合にもたらしているので、いくら強調しても強調しすぎを心配するに及ばないだろうと思うのである。そうした意味からストップは「常に動きながらやれ」とまずいったわけだ。

 しかしながら、実際には立ち止まってのストップもまた戦術上から必要な時もある。それはボール技術的に別種のものではないから動きながらストップできる者には当然にできるし、戦術的効果を狙うものだから逆に動きながらのストップをできる者しかやれないストップでもある。なぜならば、動きながらのストップができるには事前の状況判断(戦術的判断)ができることが条件であるから、そうしたことのできる者しか立ち止まってのストップの必要性を本当につかめないはずである。前述した技術未熟のための立ち止まりストップとは意味の違った立ち止まりストップとなる。
 したがって、この立ち止まってのストップの鍵はタイミング感覚を軸にした状況判断だといってよい。たとえば、その時点までの味方の攻撃展開の流れが速くなってそのまま続けると次の味方が遅れてしまいそうなので待つとか、そこまでの展開リズムを敵がつかんで合わせてきたのでそのリズムを変えねばならなくなったときとか、次の速い動きをより効果的にするためにとか、敵がこちらの意図を読んだと気づいたときにこちらの意図を変えるためにとか、いわゆる“動”と“静”の組み合わせの戦術的判断の中に生きてくるストップなのである。
 いいかえると、動きながらやれる者が立ち止まることの効果を知って使うならば有効なのだが、技術的戦術的に未熟なために陥る立ち止まりは、たいていそのあと逃げ場のない袋小路に追い込まれる羽目となる。


ファースト・タッチ

 何事であれボールを扱おうとする場合に最も大切なのはボールへの最初のタッチである。ストップもまたボール技術面から見て成否の第一のポイントになるのはそのファースト・タッチの上手下手である。ストップは次のプレーへのつなぎのプレーであり、それを区切りをつくらずスムーズにやれということは、ファースト・タッチで完全にコントロールしてしまえということなのだ。これからもますますスピード化されてゆくと思われるサッカーでは、2回、3回とタッチして初めてボールをコントロールできるという時間のかかるプレーでは落後すること明らかである。1回のタッチでコントロールするのと何回もタッチしてコントロールしなければならないとの差は、外国のプロ・チームが来たときにすぐ分かるだろう。そのファースト・タッチで完全にボールをコントロールするのが本当のストップならば、ストップ技術はすなわちファースト・タッチに尽きるわけである。

 このファースト・タッチを成功させるにはもちろんいくつかの条件があるだろうが、一般的に起こっているミスの原因として私の感じたのはボールをよく見ていないことが意外にも多いという事実である。したがってストップの重要なポイントとして、まずボールを見よ、といいたい。実に平凡なポイントである。キックでもドリブルでも、ボールを触るプレーはいつもボールをよく見よ、といわれているはずである。よくボールを見ていることによって、ボールの速さ、回転、バウンドをしっかりとらえ、それに適した足の面の使い方が定まり、足の力の抜き具合も工夫でき、そうして正確なストップとなる。ごくやさしいはずの初歩的なストップに案外な止め損ないが出るのは、ついボールから目を離しやすいためである。こうしたことはサッカーの初歩的段階でしっかりクセづけておけば、何のことはないのだけれども、そのへんをぞんざいに過ごすと大人になってからも基本ができていないなどといわれる羽目になる。

 ファースト・タッチで次に大切なのは、姿勢を小さくしておくことだ。ストップの際のファースト・タッチに限らずボールにタッチするときにはいつもそうなのだが、決して伸び切った姿勢のままでボールにタッチしないことだ。これから伸ばせる姿勢でタッチするのがよい。小さい姿勢とは、背を丸め、尻を落として丸くなることではなく、状態はそりかえらないでやや前傾している程度で特に小さくする必要はない。ではどうして小さくなるのかといえば、ヒザを軽く曲げて小さくなればいいのである。重心が後ろにずれないで、ヒザの上に乗ったままである。どんな動作にしろ、伸び切った姿勢からそのままスタートすることはできない。必ず少し縮めた姿勢からスタートするものだ。ネコが獲物を狙うように。その気持である。
 つまりヒザを軽く曲げて柔らかくしておくと、ボールの力に応じて足の力を抜いていわゆるボールを殺すのに都合がよく、バウンドの変化にも応じやすいだけでなく、一番に大切なのはそのまま次のプレーへスムーズに移行しやすいことだ。たとえば、ボールが足元から離れないようにボールにタッチした足ですぐついて行くこともできる。ひざを伸ばし切った足でボールにタッチすると、そこで一度区切りが生じてボールについて行くにも他の脚がステップを踏んで初めて追いつけることになる。一瞬にしてコントロールできないわけだ。もしボールにタッチする瞬間を狙って敵がタックルした場合に、ヒザを伸ばし切ってタッチしていたら瞬時に避けられないことも起こる。そのような小さな姿勢はバランスがよいから、反転性能もよく、フェイントやとっさの変化にも応じやすいわけだ。


基本技術は広がる

 サッカーは休みなく技術のレベルが高くなってゆく。以前はごく稀にしか見られなかった特殊の技と思われたのが、いまでは普通の技として日常茶飯事のように使われている。それに応じていわゆる基本技術といわれるものの容量も以前より広くなったと見てよかろう。
 ボール技術の基本といえば、キック、ストップ、ドリブル、ヘディングなどであることはいまも昔と変わりはないが、その中で試合で広く使われる技の種類が増えた。たとえば30年以上前、第2次世界大戦以前の日本を考えてみると、キックといえばインサイド、インステップ、インステップのインサイド(インフロントともいうが、当時はインステップの中に含まれ、特に区別もせず別名も使わなかった)の3種類ぐらいで十分に試合はこなせて満足されていた。インステップのアウトサイドを使える選手もいたがごく少なく、一般には特殊なキックと受け取られた。ヒールキックなどはほとんど見られなかった。
 ストップも同様で、インサイドのストップでほとんどをまかなった。個人的にはアウトサイドもインステップも使える人はいたが、普通は特にそれを練習した覚えはない。胸は使ったけれども、その高さのボールを単に止めるためのやむを得ない方法にすぎず、いまほど上手ではなかった。またヘディングをストップに使うことはほとんど要求されなかった。太ももをとっさに使うことはあっても、これも練習の対象にはならなかった。

 だが現在のようにますます多彩でしかもスピード化されてゆくサッカーは、そのような以前は特殊の技、難しい応用技術などと考えられていたのを、広く自由に使うことを要求している。いいかえると以前の特殊の技がいまではごく基本の技となってきたのだ。  そのことは来日の外国のプロ・チーム、あるいは彼らのテレビを見ても、技術解説書を読んでもすぐ気付くに違いない。また実地にはクラマー氏が相当丹念にそうした技を紹介して、ひところは大いに大人も子どもも練習に取り入れたものだ。ところがその割には近ごろの試合では意外に技の幅が狭いというか、そうした技を正確に駆使している場面がまだ少ないようだ。敵なしでは少しはやれても、まだ試合では自信を持って使えるほどに練習を積んでいないのではなかろうか。
 そんなわけで、基本として身につけねばならないことが増えているのは、ストップに限らずキックにしてもたくさんあるが、ストップでいえばさしずめインステップのアウトサイドだ。スピード化する中では、横から来たボールをスピードを落とさないで前へ運ぼうとすれば、インサイドで受けるよりもアウトサイドで受けた方が無理がない。しかし、既にしばしば目につくミスは、タッチしたボールが体の幅からそれてコントロールしにくくなるとともに敵に奪われやすくなっていることだ。体の正面に持ってくるほどあとがよくなる。もし敵が右から寄ってくれば左足の前に、左から寄ってくれば右足の前に持ってゆく。だが体の幅を外さないことが肝心だ。そうするにはインサイドで受ける方が確実だけれども、アウトサイドでも同様にやれるようになってほしい。その他、ヘッド、胸、太もものストップも単なる止め技としてでなく、スムーズに次のプレーへつなげるように使えることが望ましい。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1978年3月10日号)

↑ このページの先頭に戻る