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1990年トヨタカップ「大国の“夢”のチームに挑戦」

 サッカーは不思議なスポーツ―――1990年12月9日の国立競技場、12時キックオフで始まった第11回トヨタカップ。南米代表のオリンピアが、欧州代表のACミランを相手に互角に渡り合う前半の中頃、私はふと、そう思った。

 イタリア90、つまり、90年の6〜7月にイタリア12都市で開催されたワールドカップは誠に豪華で、今の西欧社会の豊かさを誇示するかのようだった。特に会場となったスタジアムのそれぞれが個性的で美しかったこと、この会場の新設や改修に使われた金額は8億8500万ドル(1327億円)と言われた。

 現在の世界のビッグビジネスからみれば、それほど巨額とはいえないかもしれないが、ワールドカップという“遊び”にこれだけの金(それも、全経費の一部として)をかけられるのは私たち日本という“経済大国”から考えても驚くべきことだ。この9億ドルという金額は、パラグアイに当てはめると、国民総生産の約22%、年間貿易(輸出、輸入)の総額とほぼ同じということになる。

 もちろん、人口5700万人のイタリアと、390万人のパラグアイとでは、経済の規模が違うのは当然かもしれない。そうした社会を背景にし、高額なスタープロ、フリット、ファン・バステン、ライカートのオランダ・トリオ、バレージ、マルディー二、ドナドーニ……のイタリア代表が主力となるACミランは、まさに“夢”のオランダ・イタリア連合チーム。

 そんなACミランに対するオリンピアは、もちろん、パラグアイでももっとも歴史のある名門チーム。首都アスンシオンにあり、経済的にもパラグアイの中では恵まれた選手たちで構成されているが、ワールドワイドという点ではACミランの華やかさに遠く及ばない。

 そのオリンピアが、10番をつけた小柄なモンソンのシャープな動き、アマリージャのヘディング、サマニエゴのシュートなどで、ミランのゴールを脅かすシーンは誠に迫力があった。それはミランが一つひとつのトラッピングと、それに続くパスに洗練された美しさを見つけるのとは違い、ボールを止め、フェイントをかけ、前に出るオリンピアのプレーは、美しさより簡素に、技巧より速さに意味を持たせているようだった。

 前半中頃のサマニエゴの左からのロングシュートは、はずれはしたが低く、速く、力強く、ロケット弾を見る思いがした。アルゼンチンやブラジルとは異なり、また、前年のコロンビアとも違って、もう少し直裁で、簡明で、ゴールを狙う鋭い感覚が目立つパラグアイ人のプレーを見ながら“大国”にも“富裕”にも立ち向かう彼らの意欲を好ましく、そしてまた、それを可能にして、互角に戦えるサッカーという競技のおもしろさを改めて感じるのだった。

 彼らのこうした気迫が、逆にACミランを刺激し、前半終了時点で1ゴールという、きわめて気分的に有利な展開に加え、サッキ監督の戦術が生きて、私たちは“夢”のチームの“快心”のゲ−ムを観ることができた。その意味でもサッカーファンはオリンピアに感謝しなくてはなるまい。
(サッカーダイジェスト1991年2月号より)

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