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【番外編】パク・チソンの突破とゴール。故障者続出の日本代表、本番へ向ってのここからが正念場 〜W杯まで3週間。日韓戦を見て〜


 前半6分のパク・チソンのゴールは「さすが」だった。5月24日、埼玉スタジアムでのキリンチャレンジカップ、日本代表対韓国代表は、本番を3週間後に控えて、両チームにとっても重要な試合だったが、調子の上向いている韓国がパク・チソンの先制ゴールを足がかりに有利に展開して、故障者の多い日本を2−0で破った。敗れた側については、いろいろな意見が出るだろう。私には、この時期にチームのコンディションが明らかになったこと、悪い状態ながら戦う姿勢が出始めてきたことで、収穫のあるゲームに見えた。

 韓国側がスタートから激しいプレッシングをかけてきたのは、当然、日本サッカーのやり方を知っていて、それと同じやり方をより激しく実行することで、日本の意図をくじき、得意とする「連動性」を潰そうと考えたのだろう。
 その激しさは日本代表より体格の良いMFが揃っている韓国側に、中盤での優勢をもたらした。
 じりじりと圧迫された日本側が、5分過ぎに左サイド、ハーフウェーラインから15メートルほど日本寄りのスローインで、今野泰幸が投げ、それが有効な展開にはならずに、相手守備ラインへの高いボールとなる。CBがヘディングし、これを遠藤保仁がヘディングで返したが、下へ入ってのジャンプだったからかボールは高く上がる。この何でもないようなシーンが、日本に対して苦痛のゴールの始まりとなった。このボールの落下点でキム・ジョンウが高くジャンプして胸でトラップ、ボールが内へ流れるところへパク・チソンが走って来て取った。

 長谷部誠がパク・チソンに絡んで奪いに行く。ドイツでプレーする長谷部は、日本チームでは体の強さで知られているが、相手はマンチェスター・ユナイテッドの主力、腰を低く落として粘って、長谷部がバランスを崩したところで持って出る。ドリブルが速くなるところで今野が外から体を入れようとしたが、パク・チソンが前へ出る方が早く、今野は彼の右脚で跳ねのけられてしまう。長谷部と今野の2人の挟み撃ちから抜けたパク・チソンは、一気にドリブルを加速してシュートへ持っていった。
 場内の大型スクリーンに映し出されたゴール裏からの映像は右足で強く叩いているのを見せ、帰宅して見た録画のリピートでは9歩目くらいで、右足でボールを押し出してシュートの体勢に入り、右足インステップで叩くところをとらえていた。

 このページの『我が心のゴールハンター』でウェイン・ルーニーを書かせてもらったおかげで、チームメイトのパク・チソンについても、プレミアリーグのNHK放送や、マンチェスター・Uの何年分かのDVDで、プレーになじんでいた。09−10シーズンは途中でケガのために離脱したが、復帰してから本来の攻守にわたる大きな動きと、粘り強いプレーが復活し、そして、その広いランの中で相手の手薄なスペースへ走り込んでゴールを奪うプレーを見せていた。
 マンチェスター・Uにあっては、いささか小さく見えるパク・チソンだが、日韓両チームの中では大きく見えたのは、やはり“格”というものだろう。

 日本側から見れば、この1点目のゴールは相手の意図的な展開で崩されたというより、中盤でのヘディングの応酬からのこぼれ球に近い感じの展開をパク・チソンに拾われた――ということになるのだが、こういう不意に現れる“チャンス”をつかんで、一気に自分の優位な形にしてドリブルシュートへ持っていくところが、マンチェスター・Uのレギュラーたる所以だろう。
 そしてまた、こういうゴールを奪う力のない日本だからこそ、チームワークによるシュートでゴールを奪い返さなければいけないのだが……。
 残念ながら、この日の日本代表は前述のように故障者もあり、しかも攻撃の起点であり、FKやCKの名手・中村俊輔と遠藤の2人がともに大不調だったから、ゴールを返すことはできなかった。
 攻め込んだ後半でも、終盤に長谷部がDF陣の攻撃参加を呼びかけながら、ゴール前へのボールが成功せずに、カウンターでPKを取られて2点目を失った。

 2006年のように直前まで好調に見えて、本番のときに調子が落ちるよりは、この時期に選手たちのコンディションが明らかになるのは悪いことではない。それに私にとっては、森本貴幸が30分程度だったが、良いプレーを見せたのも好材料だ。2人のベテランが調子を回復するかどうか、回復しないときにはどうするか、これから20日間が本番前の正念場。監督、スタッフ、選手一丸となっての姿勢をみたい。


(週刊サッカーマガジン 2011年6月15日号)

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