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戦前の代表的ストライカー 二宮洋一とボク自身……(続)


日本サッカー50年『一刀両断』第10回
聞き手 賀川浩(大阪サンケイスポーツ)


足の指の長さとシュートの関係

――前号はストライカーの話で、戦前派の代表格は、二宮洋一さん、そして川本さん自身に及びました。その際、川本さんのシュートの秘密として、足の指のことが出ましたネ。

川本:指でボールを蹴るという感触のことだネ。ごく最近に釜本(邦茂)君が来たんだ。そのときに、足の指を見たら、彼のは親指はボクと同じ長さだが、その次は親指より短い。そして、3本目はもっと短いんだ。

――川本さんの足の指は、親指の長さ5センチで、その次は5.5センチ、その次が4センチと、親指より次の方がだいぶ長いのが特徴ですネ。川本さんと同じように、次の指が親指より長い人もあります。

川本:うん、そうだろう。若い頃に、ボクはそんな指の長さを気にしていたわけではないが、ボールがいつも指に当たる感触を感じていた。インステップ・キックというのは足の甲で蹴ることだが、実際は足の甲が7分で指が3分という感じじゃないか。それをボクは指が7分で甲が3くらいで蹴っていたように思うネ。

――釜本は

川本:彼は、甲でビシッと蹴るといっていた。

――昔から、インステップ・キックは足の甲で蹴る。つまり甲で、ボールの中心を叩くといってきたんですが、その足も人によっては色々と違うわけですネ。足の大きい人もいるし、小さい人もいる。甲の高いのや、そうでないのもいる。日本人は平均してヨーロッパより足の幅が広いし高さも高いそうです。まあ、そんな違いはともかく、普通のボールの中心点は地面から11.2センチのところにある。
 ところが足の大きい人なら、つま先から甲までで12.6センチくらいある。とすると、足の甲で中心点を蹴るためには、足首を真っ直ぐ立てれば、いやでもつま先で地面を蹴る勘定になるわけです。だからいちがいにインステップといっても、人それぞれにとらえ方があるはずですね。

川本:うん、ボクは、ともかく足の指の付け根あたりで感じていた。

――それは、川本さんの、上から叩くという蹴り方に関係あるんでしょうか。

川本:あるだろうネ。指に感じ、もちろん足首のスナップを効かすんだが、指のスナップも効かした、というところだ。指のスナップを効かすのは、アキレスけんが強くないとできないがネ。だから、ボクは狭いスペースでシュートできたんだろう。そう、そう、ボクは地球を蹴ったことは一度もなかった。


戦前は柔らかい靴をはいた

――若い頃に足の指でのフィーリングがあったというのは、当時、すでにつま先の柔らかい靴をはいておられたのですネ。

川本:ボクが早稲田へ入ったとき、つまり昭和6年頃は、先の堅い靴ばかりだった。早稲田にはミズノという靴屋さんがあって、そこは部員のタマリみたいになっていた。東大の連中なんかも注文にきていたはずだ。オヤジさんは名人気質だったが……。その頃、ボクはオヤジさんに、先に堅い皮を入れない靴を作ってくれと頼んだんだ。

――神戸でもその頃、佐藤というサッカー靴の専門店がありましたが、いわゆる英国式のブーツというタイプで、先に甲皮(堅い皮)を入れて、カチンカチンのつま先の靴を作っていました。

川本:その水野のオヤジは「そんなフニャフニャの靴はダメだヨ」と、なかなか承知してくれない。それを拝むようにして作ってもらったんだ。要するに今のようなシューズなんだが。

――と、いうことは、その頃から指の根でボールを蹴っているという感触も、自分でつかんでおられたんですネ。

川本:うん、指を使っているという意識はあったんだ。そしてなんとなく足と球との感触が合ったから、柔らかい靴を注文したんだな。

――その頃、柔らかい靴というのは、特別に注文しなければありませんからネ。むしろ靴屋さんは、いかにして先が堅くて、足にぴったり合うのをこしらえるかに苦心していた、という話ですから。

川本:噂によると当時、竹内悌三さん(東大)がつま先に堅い革を入れないのをはいていたというんだが。戦後も一般的には堅い靴をはいていたネ。


大切な指のフィーリング

――昭和26年にスウェーデンのヘルシングボーリンというクラブが来日しましたネ。あのときは川本さんも日本代表で試合をされたのですが、ヘルシングボーリンの連中が、柔らかい、かかとの浅い靴をはいていたんです。彼らは南米のようなボール扱いをするためには、英国式の、堅い、かかとの隠れるような深い靴は損だといっていたようです。しかし、今のように柔らかい靴が普及したのはもっとあとですネ。やっぱり、ボール扱いの名人といわれた川本さんは、戦前から今と同じ、柔らかい靴をはいておられたんですネ。

川本:ボールに触るあの感触を非常に大事にしていたわけだと思うね。


シュートチャンスをたくさん作る

――今回は川本さん自身のことから、指と靴の話になりましたが、ついでに、たくさん得点する秘密を教えて下さい。
 先月号で、「ぎょうさん点を取った」という話をしていますから……。

川本:ぎょうさん(たくさん)点を取るというのは、シュートのチャンスをぎょうさん作ることだ。
 ストライカーは自分の型を持つわけだが、ボクは好みの型以外でも蹴り方を持っていた。たとえば、ほんの小さな隙間から足を振って蹴るとかネ。いつだったか、釜本の試合を見たことがある。そのとき彼は1試合で7本シュートした。
 あとで釜本に会ったとき、ボクなら同じ試合で20本はシュートしたな、といって笑ったことがある。
 たとえば、釜本が体もボールも止めて、相手と向き合ったことがあったが、結局シュートしなかった場面があった。しかし(その試合で)ボクなら、あのときでもシュートしたなあ、というようなことがある。
 これは外国の試合のテレビを見ていても、こんなふうな止め方をしたら比較的楽にシュートへ持ってゆけるのになあ、と思っても割とそうしないことが多いネ。

――シュートへ持ってゆく、止め方というのも、やはり練習なんですネ。

川本:いつもゲームの場面を想定しての練習だネ。野球でも、バッティングをただボールを打つだけではいかん、そのときの全体の状況を頭に入れてやれというだろう。
 ボールを扱うとき、ゲームのそれぞれの場面を想定してやらなければだめだネ。

――川本さんが、シュートチャンスをたくさん作ったという理由の一つに、狭いスペースで蹴れた、ということも大きいと思うんですが。

川本:まあ、ストライカーというのは、どんな場面でも自分の体の幅でボールを蹴れないと……。

――ゲルト・ミュラーなんかがその例ですネ。

川本:ポルトガルのエウゼビオしかし、ミュラーしかりだネ。いつか来日したスウェーデンのCF(センターフォワード)がいたろう。アイスホッケーもうまいという。

――ああ、ユールゴルデンのヨハンソン。

川本:彼が大阪で見せたシュート。ボールを迎えに行って、体をひねって蹴った。あれも、自分の幅の中に入れてのシュートだった。


ストライカーに絶対必要なキープ力

――川本さんが得点をどんどんするようになったのは……。

川本:中学校のときは点は入れなかった。ボールをいじりまわすことは好きだったが……。早稲田の1年生でリーグへ出ていきなり5点入れた。うん、あれからかな。

――川本さんがどんどん点を入れ出したのは早稲田へ入ってからですネ。

川本:うん、中学校のときは点を入れなかったが、キープ力はあった。そういうキープ力が、シュートにつながったと思う。シューターもキープ力が前提ですからネ。


(イレブン 1976年10月号「日本サッカー50年『一刀両断』」)

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