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対カメルーン、労を惜しまぬ動きと36年、30年代表に見る日本サッカーの原点


 今年7月25日の役員改選で、財団法人日本サッカー協会(JFA)の第12代会長は小倉純二さんに決まった。
 小倉会長は1938年8月14日生まれの72歳。62年に古河電工に入社してからサッカー部の練習を手伝うようになって、同部のマネジャーとなり、91年のJリーグ準備室設立の時に川淵三郎室長を補佐する副室長として日本初のプロリーグのスタートに関わり、その後JFAの専務理事、副会長と重要ポストを歴任。2002年ワールドカップ招致委員会の事務局長として大会招致、共同開催の成功に力を尽くすとともに、FIFA理事となって国際舞台で実績を積み、FIFAの功労賞も受けた国際派でもある。
 いわば、第8代長沼健(故人)、第9代岡野俊一郎、第10代川淵三郎といった歴代会長を助けて、日本サッカーの発展期を支えた一人。気さくで人当たりが柔らかく、いささか唐突の感もあった会長改選に際して、この人を推す声に異議はなかったという。
 私にとっても、小倉さんはJリーグというより、その前のJSL(日本サッカーリーグ)の頃からのつきあい。広い視野と豊富な実務経験の持ち主である新会長によって、JFAがいいチームワークで仕事を進め、来年の創立90周年を機にさらに着実な歩みを続けてほしいと願っている。

 さて、その90年の話――。
 私がこの連載を書かせてほしいと考えたのは、一つには今年6月14日、南アフリカでのワールドカップF組の日本対カメルーン(1−0)がヒントだった。
 日本代表の第1戦となったこの試合で、日本は右から攻めて松井大輔のクロスを本田圭佑がファーポスト際で受けて、左足シュートを決め、その1ゴールを守って勝利した。この初戦の勝利がチーム全体と一皮むけたものにして、グループステージを突破、16強1回戦での対パラグアイとの延長、PK負けという残念ではあっても、多くのファンの心に残る戦いへと向かわせたことは、記憶に新しい。
 このカメルーン戦で、相手のサムエル・エトオをはじめとする欧州のトップレベル・クラブのスターの攻めを防ぐ日本代表の、組織防御と、その動きの量の大きさは、まさに圧巻だった。
 FIFAの記録によると、この日の日本選手(フィールドプレーヤー)の走った距離は10人合計で10万5768メートル、一人平均1万576メートル、カメルーンの10人平均9837メートルに比べると7389メートル多く、一人平均にすると738メートル、90分間で、相手よりも陸上競技のトラック2周分近く走っている勘定になる。

 この相手のスターに対して2人、3人で囲みに行き、ボールが動く局面に、次々と日本選手が複数で相手一人に寄せて行くのを見ながら、いまから74年前の1936年ベルリン・オリンピックでの対スウェーデン逆転勝利(3−2)の日本代表の戦いぶりを思い出した。
 当時11歳であった私は、もちろんその情景を実際には見ていないし、映像もごくわずかしか知らないが、92年にスウェーデンを訪れて土地の人に話を聞いたとき、ベルリンからのラジオの実況で、スウェーデンのアナウンサーが「そこにもヤパーナ(日本人選手)がいる、ここにもヤパーナがいる」と叫び、「ヤパーナ」を連呼して日本の選手の方が数が多く見えると語ったらしい。そのアナウンサーは、しばらく「ヤパーナ」のニックネームがついたという。
 巨漢ぞろいのスウェーデンの猛攻を防ぎ、攻撃に転じると、左サイドの加茂正五、加茂健、CF川本泰三はもちろん、それまでディフェンスラインに加わっていた右近徳太郎までフォローしたから、守でも攻でも、相手より多い数がいるようにアナウンサーの目に映ったらしい(この1試合で完全燃焼して準々決勝でイタリアに大敗したが……)。

 初めてのオリンピック出場で、優勝候補といわれたスウェーデンを破ったこの試合は、1921年に大日本蹴球協会が誕生してから16年後のことだった。
 74年前のチームが相手を上回る動きの量とチームワークを拠りどころにしたというところが、私には興味のあるところ。
 そして、さらにはこのベルリンのチームづくりの基礎は、1930年の東京での第9回極東大会のときに、目標とする中華民国、体格に優れ、個人力あるチームに対して、敏捷性を生かして短いパスをつなぎ、チームワークで対抗する日本代表をつくろうとしたところにあった。
 3−3の引き分け、両者優勝という成果を挙げ、それが6年後のベルリンへつながった。80年前のこのチームと2010年南アフリカでの日本代表との不思議な一致が、もう一度日本サッカー史を振り返って、人、事柄の流れとつながりを考えてみたいと思わせた。
 小倉新会長から12代さかのぼり、今村次吉さんを初代会長とするJFA創設の頃を次回からしばらく眺めてゆきたい。


(サッカーマガジン 2010年8月31日号)

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