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vs渡辺正 日本サッカーは当面の目標を打倒韓国に絞るべきだ 〜ゴール前のスペシャリストといわれたガッツマンが語る現在の日本サッカー〜 <new!>


『名人と語ろう』
第3回ゲスト 渡辺正(東京、メキシコ五輪代表。前新日鉄監督)
聞き手 賀川浩

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 韓国やイスラエルに負け続けのいまの日本、普及は進んだのに、第一線はどん底の状態。そんな現況を憂うる渡辺正氏、「ゴール前のスペシャリスト」とクラマーが激賞した特異な男ワンタンを今月のゲストに迎えた。
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キミには強い個性があった

川本:メキシコで銅メダルを取って以来、日本サッカーは下がるところまで下がっている。そこからよう上がらない。いつまでたっても、下がったままで、その底をさまよっている。なぜかというと、メキシコからあとの日本サッカーの指導者にはオリジナルがなかった。
 オリジナルとボクがいうのは、個性のことだ。

――東京オリンピックからメキシコへかけては、クラマー監督が直接やってくれましたね。

川本:クラマーはなんといっても選手のオリジナルを重視した。ところが、クラマーがいなくなったら、日本のサッカーは“もう選手の個性なんか考えなくていいじゃないか。みんなある程度うまくなりレベルが揃えば組織プレーでやっていけるじゃないか……特にバイタリティのある選手なんか必要じゃない……”というふうになってしまった。

――そんなふうに、はっきり考えたわけでもないんでしょうが。

川本:特に、そうは思わなんだか知れんが、現実に、そんな姿でこの10年やってきている。それが、一番沈滞している原因なんだ。だから、そういうプロセスのなかで、奥寺や永井が上手になったといっても、本当にそうなのかと心配だ。クセのある、バイタリティのある相手とやるときに通用するのだろうか。現に、韓国戦やイスラエル戦はどうだったのか、一見、上手になっても本番では通用するのか、といいたいネ。

――個性を重視しよう、とはいろんなところでいわれているようですが……。

川本:口では個性、個性といったって、実際に個性はいらんというサッカーをやっているんだから……。
 ワンタンにしても、メキシコの銅を取ったチームはそれぞれ個性があったよ。クラマーがやっぱり個人のオリジナルということを考えていたんだ。それを、その後さっぱり考えていない。今日の沈滞のもとはここにある。

渡辺:ボクも全く同感です。

――渡辺君は、誰もが個性的と認めたプレーヤーだから……。

川本:その意味で、今回はワンタンの話を聞こうということになったんだ。渡辺君だって、決して“才色兼備”のプレーヤーじゃなかった。欠けるところも随分あった。しかし、強い個性があった。

――渡辺君のプレーを初めて見たのは大宮での天皇杯(日本選手権)でした。あのときは、まだ20歳そこそこ……。

渡辺:21歳です。高校(広島・基町=もとまち)を出て、会社へ入って3年目。昭和31年でした。

川本:あのときは、大阪クラブが八幡(当時は合併以前で、八幡製鉄といっていた)に負けたんだ。同点、抽選でネ。あの大会で、ボクもワンタンを初めて見た。大阪クラブとする前の試合で、あれはどこが相手だったか……。そのときに、相手チームのFBがゴールキーパーへバックパスをしたのを、フッとかっぱらって得点した。それを見て、面白いプレーヤーやなと思ったのが最初だ。バックパスをかっぱらうなんて、ちょっとできないことだから……変わってるな、と見たのが最初だ。

渡辺:ボクらの頃は、あまり本などもなかったから、人の話を聞くのに懸命でした。川本さんが“ネコがボールにじゃれるのを見て、ボールタッチの何かをつかんだ”というようなことも……。色々な発想を先輩から教わったのが良かった。トラッピングでも、一発で前へ向くこととか……。ボクはどちらかというとエラーの多い方だったが、そういうプレーのなかで、それをやったら点が取れるぞということを工夫した。

――大宮のグラウンドで、右後方から来たのを右へ止めて半回りしながらシュートへ入っていった姿勢は、今でも覚えていますよ。相手FBのバックパスをかっさらう話は、クラマー氏からも一度聞きました。ずいぶん誉めていました。

川本:キミは、メキシコ・オリンピックでいい得点を入れているな。あの大会ではストライカー釜本の陰に隠れて目立たなかったが、いい点だったよ。

――グループリーグの第2戦で、ブラジルに1−0とリードされていたゲームの終盤、左からのセンタリングを釜本がヘディングで折り返しそこへ走り込んだ。

川本:ああいうプレーは、バックパスをかっぱらうのと同じセンスだとボクは思う。

渡辺:点を取るというのは、まずゴールをどのようにして広くするか、そしてまた、自分へ出してくれる相手のボールがどんな種類なのかを知ること……が大切だと思いました。ボールを回してくれる仲間には、それぞれの計算がある。その仲間の一番いいものを大切にすることが必要だと考えるようになった。


難ゴール・ハンター

川本:ワンタンは非常に貴重な得点や難しいゴール、人に真似のできないプレーで点を取っている。本当のゴールゲッターというのは、平凡な点もたくさん取らないかんのだ。それを、キミは、だいたい人に真似のできない難しい点ばかり取っていた。そういう特異性があったよ。

渡辺:ボクは、高校1年のときに右足の腿を痛めて、足を振ると痛い。シュートができなくなった。それが3年ばかり続いた。足が振れないものだから、足首のスナップで蹴るようにした。プロ野球のかつての名選手の鶴岡一人さんが、肩を痛めたために手首のスナップでボールを投げるようにした。そのために、ボールを取ってから投げるのが早くなった、という話を聞いたのですが……。まあ、それと似た感じでした。広島へ来られた川本さんのプレーを見たのもヒントになった。

――うーん、それでワンタン独特の右の蹴り方がねぇ……。

渡辺:まあ自分なりに考えた。シュートなないよ、いわれたらセンターフォワードとして皆にナメられてしまう。まあ、その頃が一番苦労した時代でした。

――なるほど

渡辺:反対に、力で蹴るようなシュートはできなくなった。左足の方は蹴れたんですが、これは得意じゃなかったから……あとは昔教わった「シュートしたらもういっぺん詰めろ」といわれたことを、バカのようにやった。それで、そんな形の点を取るのが多くなった。

――代表の候補になったのが、その大宮での試合からだったネ。

渡辺:大宮競輪場で合宿をして、そこで川本さんの話を聞かせてもらったりした。あの頃は、どんな練習をしていいかわからない。しかし、ともかく自分を鍛えないかんと、1月2日から3ヶ月間、毎朝6時に起きて寒稽古のつもりで練習したものです。いまの効果的練習とか合理的トレーニングというのからいささか遠かったかもしれないが、ともかくバカみたいに、ウサギとびとか階段を走って上がったりした。


オダテで選手は育たん

川本:日本のサッカーのこれからを、どう思う……

渡辺:世の中が不景気になったから、よくなるんじゃないかと思うんです。

川本:そう、その通り、ボクもそう思うな……もっと不自由しながらやらないかん。

渡辺:いま一番悪いのは、アンパンをぶら下げてやっていることだ。アンパンかなんか知らんが、そんなものを目の前にチラつかせなければやってゆけない指導なら、止めた方がましだ。

川本:海外遠征だってそうだ。日本の国内で、自分のグラウンドで鍛え抜いたものを海外へ送るべきで、海外へ行って上手になろうというのはおかしいヨ。いまの日本サッカーの当面の目標は一つに絞ったらいい。どうしたら韓国に勝てるかを考える。他は必要ない。これに焦点を絞って、みんなで考えたらいい。これは難しいよ。それにはドイツへ行って合宿する必要なんかない。年に8,000万円も強化費を使うこともいらん。国内で全部できる。金ばかり使ったって成果はあがらんヨ。

渡辺:韓国へどしどし出かけてもよい。一昨年だったか、韓国へ新日鉄といったときに、ソウルでなくて地方へ行くと、まあ、日本の20年前の状態。ボクらの試合を見に、炎天下に、裸足でぞろぞろ歩いてやってくる。
 ああいう生活は、いまの日本と違ってムダがある。そんな中から育ってくる選手は根性があるのが多いんじゃないか、という気がした。そのあとで韓国のコーチたちと話したときに、“ソウル出身者はいまダメで、ナショナルチームに入ってこない”という。

――やっぱり……。

渡辺:やっぱりという感じでした。裸足で歩いて試合を見に来た連中から、どしどしプレーヤーになってくるとしたら、これは、韓国に勝つには、なかなかのことだと感じたものです。
 ボクらの小さいときは、そうでした。試合があるというと30円もらって、10円でパンを買って、電車賃を倹約して歩いて見にいったものです。
 試合を見て、見たものをまた歩いて帰る途中、思い出し、考える。まあ、ムダも多かったが、そのムダが良かったと思う。いまはテレビを見て解説者の話を聞いて、それで分かったつもりになる。

川本:いまの日本は完全に底にいる。それには個性を忘れたことにあるんだが、この底から、ちょっと浮かすためには、キミたちの年代の連中がやらないかん。メキシコの時点で、実戦で苦労してプレーをやってきた連中、八重樫しかり、鎌田もそうだろう……

――クラマーが来て、クラマーの指導を受けて、それを実際に身体でつかんでプレーをしてきた渡辺君たちのメキシコ組が、指導にまわる時期になったということで、私は、これからに望みを持っているんです。

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渡辺 正
昭和11年1月11日生、41歳。広島・基町高校、八幡製鉄、高校卒後3年で日本代表候補に入る。八幡に4年勤務ののち、立教大学に入り、関東大学リーグで優勝。卒業後、八幡に帰社。東京五輪、メキシコ五輪大会代表。俊足、得点に対する独特のセンスは多くの認めるところ。69年から新日鉄監督、総監督を経て、この4月から部を離れて東京に移る(新日本製鉄工作事業部・営業総括課)
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(イレブン 1977年6月号『名人と語ろう』)

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