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89年前の「天皇杯」第1回大会。優勝の東京蹴球団にFA銀盃


 1921年(大正10年)9月10日に設立された大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会=JFA)は、その目的を「本会ハ蹴球団体ノ中枢機関トナリ該競技ノ普及発達ヲ図ルヲ以テ目的トス」(原文のまま)と規約第一条に掲げている。規約は十七条あるのだが、その第四条で協会の事業を
「本会ノ行フ事業ハ左ノ如シ
 1、全国優勝競技会ノ開催
 2、競技規則の制定及解譯並ニ競技ノ指導
 3、蹴球ニ関スル年報ノ発行
 4、其ノ他本会の目的ヲ達スルニ必要ナ事項」
と決めている。

 サッカーの母国イングランドのFA(フットボール・アソシエーション=協会)から寄贈されたシルバーカップがきっかけになり、誕生したJFAにとって、まず「全国優勝競技会」を開くことは重要な仕事の一つだった。
 このため、1921年9月10日の協会設立の日の第一回理事会で、理事会の定会日や、事務所の設置、あるいは略称をJ.F.A.とすること、会費や庶務上に関することなどのほか「JFAの設立を英国大使館に通報して銀盃(シルバーカップ)を受け取る」こと、「全国優勝競技会の地方予選を10月中に行ない、決勝を11月26日、27日に東京で開催する」ことを議決している。
 その協会設立と全国優勝大会についての発表は9月18日、東京市(現・東京都)京橋区宗十郎町一番地の事務所で行なわれた。協会役員のほかに、高等師範、東京蹴球団、青山師範、高師附属中学、獨逸(ドイツ)協会中学、アストラ、農業大学、明治学院などの各団体の代表が参集、今村次吉会長が設立に至る経過の説明と将来への希望を述べ、全員の賛同を得て、新聞各社、通信社、及び全国の65チームに対して協会の設立趣意書及び規則書を発送した。

 この全国優勝競技会(現・天皇杯)の予選会を東京(関東、東北地方並びに山梨)、大阪(近畿、四国、但し愛媛を除く)、名古屋(本州中部地方)、広島(中国及び九州地方と愛媛)で、開催することは9月10日までに決めていたが、大会の競技規則(24条)は10月18日の大会委員会で決め、11月1日の第3回理事会で、地方の代表が次のとおり認められた。

 ◇中部地方は9月23日開催の予選会(3チームが参加)に優勝した名古屋蹴球団が代表
 ◇近畿地方は、大阪毎日新聞社が推薦した御影師範学校(毎日新聞主催の日本フートボール大会の第1回1918年大会から大会4連覇)
 ◇西部地方は参加チームが少なく、予選なしで山口高等学校を代表(優勝)とする。

 JFAのお膝下だけあって、東部地方の予選は大きく、参加20チームとなり、11月19日、20日、23日の3日間、東京高等師範主催の下に高師校庭で(ノックアウト方式)行なわれた。
 10月23日の9時からの準決勝で青山師範が1−0で早稲田高等学院を破り、東京蹴球団が豊島師範を2−0で下し、午後2時からの決勝は東京蹴球団が青山師範に2−0で勝った。
 すでに紹介したとおり東京蹴球団は高師や青山、豊島師範のOBたちが、その力を卒業後も伸ばすことを目的としたクラブ、関東では断然強かった。

 第一回全国優勝大会は、役員たちの努力で日比谷公園運動場で華やかに開催された。西部地方代表の山口高等学校が出場しなかったので、11月26日は準決勝の名古屋蹴球団対御影師範の1試合だけとなり、御影が4−0で勝った。
 27日午後2時キックオフの決勝は晴天に恵まれ、多くの観衆がフィールドを囲んだ。
 はじめは御影に勢いがあったが、東京蹴球団は後半に入るとドリブルとパスによる攻撃が観衆を沸かせるようになり、後半8分に菅家梅治の右CKを安藤弘平がヘディングでゴールして1−0。そのあと、互いにチャンスはあったが得点できず、東京の優勝となった。
 JFAの会報第1号のレポートは「戦うもの、観るものも、ただ時の経過の速さに驚かされるのみ」と試合の白熱ぶりを伝えている。
 優勝チームの山田午郎主将に、大会名誉会長、エリオット英国大使からFA寄贈のシルバーカップが手渡され、東京蹴球団は初の日本チャンピオンとなった。

 JFA創立4年前の1917年(大正6年)の第3回極東大会に初参加した日本サッカーは、2年後の第4回大会(フィリピン)には参加せず、この年1921年5月の第5回大会(上海)に参加した。
 フィリピンに1−3、中華民国に0−2で敗れはしたが、佐々木等監督のもとに東京蹴球団や高師学生を主力に野津謙第4代JFA会長(東大)も加わった。このチームは初参加のときよりも進歩を見せた。
 外にも目を開き、国内の組織づくりに踏み出したサッカー界は、すでにスタートを切っていた。旧制中学校の各地域大会を足場に、このあと旧制高等学校の全国大会(旧・インターハイ)や関東、関西の大学リーグを創設し、一気に普及とレベルアップに進むことになる。


(サッカーマガジン 2010年10月5日号)

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