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各国リーグの得点王たち
サッカー選手の輸出国といえば、まず、ウルグアイが第一に挙げられる。近頃ではイタリアのリラ攻勢の前に、アルゼンチンやブラジルなどもどんどん輸出しているが……。
そのウルグアイほどでなくても、パラグアイ選手の国外での働きも相当なものだ。そして、おもしろいことにウルグアイのプレーヤーには優れたミッドフィルダーが多いのに、パラグアイは各国専門家から、ストライカーの生育地と見られている。
たとえば、いまディエゴ・マラドーナのいるナポリ。マラドーナは90年9月19日の欧州チャンピオンズ・カップ2回戦の対ウィぺシティ・ドージャ(ハンガリー)戦で2得点を挙げ、同クラブ在籍7シーズンで108ゴールを重ね、クラブの個人得点で記録を更新した。が、それまでのナポリでの最多得点者はパラグアイのアッティラ・サルストロで、29〜37年の9シーズンに107得点を挙げている。サルストロはアスンシオンの生まれ、パラグアイのナシオナルというクラブでプレーした後、自分の父の出身地であるイタリアで、ナポリ市民のアイドルとなった。
サルストロの活躍と同じ頃、アルゼンチンではアルセイノ・エンリコが得点王としてリバープレートのサポーターを喜ばせた。エンリコは37年から39年までの3年連続リーグの得点王で、38年の47ゴールは、いまも最多得点として記録が残っている。彼もパラグアイのナシオナルでサッカーのキャリアをスタートしている。
アスンシオン生まれのベンテス・カセレスは現在80歳。カセレスは南米サッカー界の大御所で、オールドファンには懐かしい名前だろう。彼は30年の第1回ワールドカップのパラグアイ代表メンバーであり、リベルタードで活躍した後アルゼンチンに渡り、ボカ・ジュニオルズのストライカーとして鳴らした。
スポルティボ・ルケーニョという小さいクラブを51年、53年と2度パラグアイのチャンピオンに導いたシルビオ・パロディは、バスコ・ダ・ガマ(ブラジル)、フィオレンティーナ(イタリア)、ボカ・ジュニオルズ(アルゼンチン)、アメリカ・デ・カリ(コロンビア)、ナシオナル(ベネズエラ)などのチームでプレーし、世界を股に活躍した。パロディはコーチとしても有能で、パラグアイ代表チームをはじめ、アルゼンチンやエクアドル、コロンビアなどのチームを指導した。
ちょっと時代のさかのぼったところでは、62年のスペインの得点王、ガエタノ・レ(バルセロナ)。68〜70年のチリのトップ・スコアラー、エラディ・サラーテ(ウニオン・エスパニョーラ)。70年代にスペインで活躍したS・アル−ナ(レアル・サラゴサ)もいる。
もちろん、コーチではユベントス(イタリア)のエリベルト・エレラ(HERIBERTO HERRERA)、あの“HH”として有名な戦術家も、この国が生み出したことを付け加えるべきだろう。
書きあげていけばキリがないほど、タレントの多くがストライカーであるところに私は魅力を感じる。それはグアラニ族インディオの果敢な性格からくるのか、キックの筋力の強さからくるのか―――いずれにしても「パラグアイの選手は、他の南米のように技巧的でないかも知れない。しかし、彼らはいつ走り、いつシュートしてゴールするかを知っている」という通説ができているようだ。
(サッカーダイジェスト1991年2月号より)