賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >1987年に来日した南米選抜

1987年に来日した南米選抜

 79年のユース代表と、彼らを軸とする86年のワールドカップ代表は私たち日本人にも親しみがあるが、87年1月27日、日本リーグ選手には頭の下がる思いがした。ゼロックス・スーパーの第7回大会だったが、ユニセフへの基金を目的とし、南米選抜はマラドーナのほか、エジーニョ、マウロ・ガルボン、ジョジマールら、ブラジルのスターが集まった。が、主力となったのは、パラグアイのGKフェルナンデス、DFトラジェス、デルガド、ハケ、FWのトーレスたちだった。

 地球の反対側からの長旅の強行日程と時差のため、試合や練習に行くバスの中ではアクビを連発していた彼らだったが、真剣にトレーニングし、懸命に試合をした。フェルナンデスが体操している際に、その身体の動きの速さに空気が破れる音がして、カメラマンたちが飛んで行った情景を鮮やかに思い出す。

 イタリア・リーグで負傷して、ベスト・コンディションからほど遠いマラドーナを中心に、好ゲ−ムを演じてくれたのは、まさにパラグアイ軍団のおかげだった。この時、南米選抜の監督を務めたカルロス・ビラルド(アルゼンチン)は「パラグアイの選手たちは決してハデではないが、技術はしっかりしていて、身体が強くマジメだから、試合ではとても頼りになる男たちだ」と高く評価していた。
(サッカーダイジェスト1991年2月号より)

↑ このページの先頭に戻る