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1982年スペインW杯「原型はモンテビデオ」

 1980年の年末から81年の始めにかけて、ウルグアイのモンテビデオで行われた「コパ・デ・オロ(黄金カップ)」で、私はテレ・サンターナの82年チームのオリジナルを見ることができた。
 1930年の第1回ワールドカップ開催から50周年を記念し、FIFAがかつての優勝国6チーム(イングランドは辞退したため、2度の準優勝国オランダが出場)に参加を呼びかけた大会で、ブラジルは78年のコウチンニョ監督、74年のザガロ監督のやり方とも違うテレ・サンターナを起用し、82年ワールドカップを想定したチームを送ってきた。
 ジーコがケガで参加できなかったため、トニーニョ・セレーゾ、バチスタ、イシドーロ、ソクラテスがMF、チッタとゼ・セルジオが2トップ、エドバウド、オスカー、ルイジーニョ、ジュニオールがDFとなっていた。
 バチスタはディフェンシブなMFで、DFラインからはジュニオールが中盤の構成にからむ。全体が見事なローテーションの動きで、右にオープンスペースを作り、そこへソクラテスやトニーニョ・セレーゾ、あるいはイシドーロが上がってきた。大会は優勝できなかったが、そのころ欧州で無敗を誇っていたルムメニゲの西ドイツを4-1で破ったゲームは、ブラジル人のサポーターが「オーパ」を連発するほどの出来ばえだった。
 81年のブラジル代表欧州遠征は、まさにテレ・サンターナ軍団のリハーサルだった。
 5月12日、ウェンブリーでイングランドを1-0、15日にパリでフランスを3-1、19日にシュツットガルドで西ドイツを2-1と破った。
 このときのDFは、エドバウド、オスカー、ルイジーニョ、ジュニオール、MFはトニーニョ・セレーゾ、ソクラテス、ジーコ、FWはイシドーロ、レイナウド、エデルら。FWにはゼ・セルジオやレナト(現在は横浜マリノス所属)も起用された。
 相手の本拠地での3連勝は、ワールドカップを1年後に控えてヨーロッパのコーチたちに大きなショックを与えた。さらに、このときのチームには、イタリア(ASローマ)にいたファルカンが入っておらず、またバチスタも加わっていなかったから、彼らの加入で戦力はまだまだアップすると考えられた。
 この欧州遠征でブラジル代表が見せたプレーは、74年西ドイツや78年アルゼンチンのワールドカップで、仲間や先輩たちが演じたものとは全く違っていた。
 74年も78年も、ディフェンシブで、ボールタッチも特に変わったところはなかったが、このチームはカカトであれヒザであれ、彼らがボールに触れると、ある時は静止し、あるときは生き生きと走った。シュートは強烈で、右にも左にも曲がり、ドロップした。パスは身体の下から、後方から、予測しがたいタイミングで出されるが、それはボールを持った者、受ける者が、サンバを踊るようなリズミカルな動きに入ると次々につながり、相手の守りにいつの間にか穴をあけるのだった。「もしワールドカップが81年だったら、ブラジルはたぶん優勝していただろう」ー82年大会の後、FIFAの技術委員デットマール・クラマーは私にこう言ったが...。
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