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オリンピアのジュニア育成

 81年の正月に、ウルグアイでのコパ・デ・オロ(ワールドカップ創設50周年記念大会)を取材に行った時、パラグアイに足を伸ばそうとしたら、ちょうど直前にちょっとした騒動があり、戒厳令下ということで、ウルグアイの友人の忠告でアスンシオンを訪れるのを止めてしまった。

 南米サッカー連盟のオフィスは、現在、アスンシオンの中心街にあり、レオス会長やスタッフが3つの階を占有し、タレントの宝庫・南米大陸のサッカー統轄の中心となっている。

 日本と同じくらいの国土に大阪市程度の人口のパラグアイだが、79年のゴールデン・イヤーから11年後に、オリンピアのリベルタドーレス・カップ優勝があり、トヨタカップで20歳のモンソンを始め、若い素材を世界の舞台で披露した。そして、伝統的な得点への意欲とシュートのうまさ、得点ポジションでの強さ(ミラノのDFをたじたじとさせた)は依然として保持していることを示した。

 現在、パラグアイの1部リーグは3ラウンドに分けて、チャンピオンシップのリーグを行なっている。30歳になったロメロもブラジルから帰って来て、スポルティボ・ルケーニョでプレーしており、リーディング・スコアラーになっている。

 オリンピアのクビジャ監督は、トヨタカップの試合後「我々は3年がかりでこの舞台を目指して努力した。ようやく登場することはできたが勝てなかった。来年はもう一度、勝つために東京へ来れることを願っている」と話した。すでに国内リーグを32回も優勝し、ライバルのセロ・ポルテーニョ(21回)をも大きくリードしているオリンピアは、ジュニア育成の組織が極めてうまく作動しているようだ。プロ化を目ざす日本のサッカー界も、パラグアイのような地味な国での選手育成を学ぶことも必要ではないのだろうか。
(サッカーダイジェスト1991年2月号より)

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