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手島と篠島の働き、死力を尽くした竹腰 劇的な対中華民国3-3ドロー

 新しい年2011年は日本サッカー協会(JFA)の創立90周年目の節目にあたる。1921年(大正10年)以来の歩みを眺めようと、昨年秋から始めたこの連載は今回が19回目。1930年の第9回極東大会(東京)での初の「選抜」日本代表が、フィリピンに勝ち、中華民国(現・中国)と並んで東アジアのトップに立ったときに差しかかっている。
 5月25日の3カ国リーグの第1戦(日本7-2フィリピン)のあと、27日の第2戦で中華民国がフィリピンを5-0で破った。フィリピンはチャンスをつくったが得点できなかったために予想外の大差となった。
 1勝同士の日・華の対決となった第3戦は5月29日、午後3時キックオフ、今の国立競技場の前身である明治神宮競技場には多くの観衆が詰め掛けた。
 試合は3-3の引き分けだったが、日本がパスワークの攻撃、中華民国が個人技術の強さといった特徴があり、ゴールの応酬のシーソーゲームだったから、国際試合という独特の緊迫感とともに観客はサッカーそのものの面白みに沸いた。
 試合の流れを見ると、20分ごろまでは日本の攻め込みが多く、惜しいチャンスもあったのち、23分に先制ゴールした。攻撃の発端は、相手の右サイドの曹のドリブルを防いだDFの竹内悌三からで、奪ってすぐ前方に送り、左ウイングの春山泰雄が中央へパス、これを手島志郎がシュートを決めている。
 手島市東(1907-1982年・第5回殿堂入り)は、広島高師附属、広島高等学校を経て、このとき東大の2年目。
 中学、高校の時から知られたストライカーだった。昭和3年(1928年)1月のインターハイで広高は優勝したが、ノックアウトシステムの大会を一回戦8-0一高、2回戦6-0六高、準決勝4-1浦和、決勝8-1松山と圧倒的なスコアで勝ち抜いている。連戦の大会に優勝するために、ハードトレーニングをモットーとし、3倍の試合時間に耐える体力を持つことを心がけた。決勝相手の松山には、東大と日本代表の仲間となる若林竹雄がいた。大差となったのは広島側の激しいタックルで松山に骨折による退場者が出て10人となったこともあるが、広高の激しさと運動量の多さ、そして小柄なCF手島の得点力が、スコアにあらわれたといえるだろう。
 大正末期にチョー・ディンの教えを受けた。東京高師附中や神戸一中出身者など、やはりチョー・ディンに習ったプレーヤーが高等学校を経由して東大に集まり、チョー・ディンの直弟子ともいうべきノコさん・竹腰重丸を中心にしてチームの完成度を高めていったのだが、そうした中に、広高で「がむしゃら」なサッカーを身につけた手島やHB野澤正雄が加わったことも、ともすれば理論に走りやすいこの世代にあって、仲間に良い刺激を与え、バランスの取れた骨太のチームになったとも言える。
 代表選抜のときに、CF手島については異論は出なかったと言われている。この人は言わば、日本選抜代表の最初のストライカー。とびきりの小兵というのも面白いが、自ら工夫した「すり抜け」や「的確なシュート」や「ジャンプヘッド」の特技があったことは言うまでもない。
 その自らの技(身のこなしを含めて)を練り上げるため、行住坐臥をサッカーに注いだ手島選手の奇行は、多くのエピソードとなって残っている。
 日本代表のストライカーの系譜の最初ともいえる手島さんに、いささか行数を費やしたが、それは昭和5年、1936年の代表チームの選手には多かれ少なかれ、手島流の旧制高等学校の気風があり、それが日本サッカーの進歩の一つの要因であったと考えるからでもある。
 話を日本対中華民国の試合に戻すことにしよう。1-0となったが、中華民国は、38分に孫錦順がゴールして同点とし、前半は1-1後半に入って、57分に日本は高山忠雄のゴールで再びリードした。
 篠島秀雄からのパスを高山がシュートし、それに篠島、手島が飛び込むという形から生まれたゴールで、経験豊富な中華民国のGK周は、いったん手に当てたが防ぎ切れなかった。しかしその2分後、再び中華民国が同点とする。左サイドからのロングボールを、CF載麟経がダッシュして体に当てて押し込んだ。
 66分に日本はリードのチャンスを得た。春山のドリブルを止めようと、ライトハーフの梁がファウルを犯す、キッカーは手島。残念ながらシュートはゴール左上に外れた。
 だが、その手島のパートナー、篠島が73分に3点目を決めて3-2とする。春山とのパス交換から本田長泰が出したパスを相手DFがクリアするが、それを竹腰がヘディングし、さらに高山がヘディングでつないでゴール前へ。篠島が突進してこのボールをプッシュした。
 この3回目のリードは80分の載のゴールでまたまた同点となる(3-3)。タイムアップまで互いに攻めあって引き分けた。
 最も運動量の多かったセンターハーフの竹腰キャプテンは試合後、疲れ果てて動けなくなった。


(サッカーマガジン 2011年1月11日号)

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