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前半に0-2、絶望的な流れを  敏捷性と休みない活動で「ベルリンの奇跡」

 「万雷の拍手に迎えられて、まず大きなたくましいスウェーデン選手が黄色のジャージ、紺のパンツでグラウンドに現れた。続いて小さい日本人が彼ら特有の礼儀正しさで、無言でにっこり笑いながら観衆に向かってお辞儀をする」
 1936年8月4日、ベルリン・オリンピック・フットボール競技の1回戦、スウェーデン対日本の試合を当時のドイツ・メディアの一つ「蹴球週報」は、こういうふうに書き出している。会場は「HERTHA BSC PLATZ」ヘルタ・ベルリン・クラブのホームグラウンドで、芝生はよく手入れされていた。この蹴球週報の記事は、日本代表チームのDF堀江忠男(1931-2003年)が翻訳して、JFA機関誌・蹴球に「オリンピック通信」として寄稿したもの。堀江さんは早大卒業後は朝日新聞の記者となり、のちに早大の教授を務めた。語学が得意で、代表であると同時に機関誌の編集委員の一人でもあった。
 日本のラインアップは、GK佐野理平、DFは右が堀江、左が竹内悌三(主将)、中央が種田孝一(3FB制)、HBは右が立原元夫、左が金容植、FWが右ウイング松永行、インサイドが右近徳太郎、CFは川本泰三、左サイドが加茂健(インサイド)正五の兄弟ペア。
 「試合開始の笛と同時にスウェーデンが試合をリードした。日本は相手と同様にCHを下げた形でプレーしていたが(3FB制にしていたという意味だろう)、自陣ハーフウェイラインから出てこられなかった。
 日本も最初の興奮状態が過ぎてから、しばしばスウェーデン・ゴール近くまで攻め寄せ、右近のシュートなどがあった。10分のスウェーデンの素晴らしい攻めからのハルマンのシュートは称賛の嵐の中に佐野がフィストで防いだ。
 日本も攻め、川本のゴール隅へのシュートがあり、20分に右近が突進したときにはスウェーデン側の表情も硬くなった。しかし、これはDFアンデルソンが無遠慮な(フェアとは言えない)タックルで阻んだ。
 その4分後にスウェーデンが先制ゴールした。ぺルソンがペナルティーエリアにかかるあたりから鋭いシュートを放ち、ポストに当たって入った。佐野も手の下しようがなかった。
 37分に2-0となった。攻撃を続けて日本側を惑乱させたあと、ぺルソンの長い低いシュートが入った」前半を終わって0-2。
 試合経過をこうしてじっくり読むと、日本側にもチャンスがあり、パス攻撃は悪くはなかったようだが、ハーフタイムに観客の多くは「勝負あった」と思ったに違いない。下馬評で優勝候補とされている側の2点差だから――。おそらく、スウェーデンの選手たちもそう思ったことだろう。

 堀江リポートによると、「風上に回ったスウェーデンは、もう勝ったような気になったのか、多少気が緩んだのと、われわれの意気込みとが、うまく合ったためか、前半のように、スウェーデンに引きずりまわされることなく、だいぶやりやすくなった」――とある。
 「FWが相手陣へ攻め込むと、小気味よく、相手バックスをかく乱した。そして49分にLW加茂正からのパスを川本がシュートして最初の1点を得た。このとき私は『この調子なら勝てるぞ』――という確信に近い気持ちが一瞬強く閃いた」そうだ。
 日本サッカーにとって、このゴールはベルリンの奇跡のスタートだが、同時にオリンピックという世界の舞台での最初の得点でもあるから、詳述したいところだが、とりあえず試合の流れを「蹴球週報」の堀江訳から読むことにしよう。
 「2-1となったが、スウェーデン側はまだ冷静で、技術的にも体力的にも彼らは優勢だった。
 しかし、日本は何回も良い場面を見せ始め、粘り強さを発揮して、スウェーデンの力強い攻撃にも慌てなくなった。日本の小さな闘士たちの情熱的な献身と猫のような敏捷さと、頑強さ。スウェーデン・イレブンに本当に危険な敵となってきた。62分についに右近が同点ゴールした。
 戦いはどちらのものとも分からなくなった。日本はかつて見ない敏捷さと休みない活動を示した。スウェーデンも闘った。すでに確実と思われた勝利のために夢中に戦った。
 最後の10分間にスウェーデンが総攻撃した、グラーンのシュートが決まったと見えた。しかし、佐野のフィスティングでCKとなった。ここからぺルソンがシュートしたが、堀江がゴールに入ってクリアした。
 タイムアップ前5分に日本が3-2とした。アンデルソンが取りそこなったボールを松永が拾って進み、GKベルグクイストの広げた両足の間を通して勝利球を入れた」
 ここからタイムアップまでの5分は、まさに必死の防戦となった。相手はバックメンまで総出で攻め、こちらもFWも後退して守った。ボールを取ればウイングへ渡してサイドでキープしてゆっくり攻めた。
 最後のホイッスルが鳴って、日本チームをめがけて押し寄せる群衆の間をかき分けて、鈴木監督、竹腰、工藤コーチが走り寄ってきて選手と抱き合った。


(サッカーマガジン 2011年3月29日号)

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