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【番外編】東北、関東大震災に思う サッカー人生と神戸の水害、空爆、地震

 ドイツにいるカメラマンの沢辺克史さんから電話があって、「雑誌社からの依頼でこんどの東北関東大震災の特集を組むため、日本人で、かつて大きな災害にあった人の話を集めたい。賀川さんは阪神大震災の被害者でしたね」と言ってきた。
 世界中、大きな関心と同情を寄せてくれているテレビ、新聞でも報じられているが、沢辺さんによると、それだけ日本という国の存在は大きく、ドイツでも、日本の立ち直りを期待する声が強いのだそうだ。
 3月11日の大地震と巨大な津波の発生以来、テレビと新聞で日々に報じられる生々しい映像と報道を見て私のように、何度もさまざまな天災や人災を経験してきた者も、ただただ驚くだけだった。
 長い「揺れ」の後にやってきた大津波に直接遭われた人たちは、どれほどの恐怖であったか――、被災された人のご家族や友人を失った方々にはお慰めする言葉もない。

 神戸に生まれ育って、関西で暮らす私の少年期には室戸台風(1934年)をはじめとする台風が年中行事のようにやってきた。幸いに大阪の天王寺・五重塔が吹き倒されたというような大きな風の害は少なく、神戸はいいところなどと言っていたときに、市の背後の六甲山塊が長い梅雨のあとでの集中豪雨で、崩落し、いわゆる山津波で、街を土と砂が埋めてしまった。
 昭和13年(1938年)のこの阪神大水害は、阪神間と神戸だけの局地的なもので、東京方面にはほとんど伝わっていないが、今の新幹線の新神戸駅近くから流れ出る生田川が人がつくった新生田川の暗渠(あんきょ=覆いをした水路)に土砂と集積させて、その流れを変え、加納町からJR三宮駅を経て今のフラワー通りに至る古い生田川となったのをはじめ、裏山の小さな谷から流れる溝や小流が、あっという間に土砂と樹木を運んで海へ走った。
 その狂暴さは、今度の海の津波の規模ではなくても、その速さと勢いは、たとえようもないものだった。当時は、旧制中学の2年生であった私は、灘区上野丘の新しい神戸一中のコンクリート造りの校舎にいて無事ではあったが、校庭のすぐ東の下を流れる細流が山崩れで、10メートルも盛り上がって、グラウンドの東側を削り取り、木造2階建ての運動部室(20近くの部屋があった)を流れは引きずり込み、木っ端微塵にしたのを呆然と眺めた。
 2日後、三宮のJR高架線路の下にとうとう流れる「生田川」を見て神戸は源平合戦のころに戻ってしまうのか――と思ったものだ。
 大水害は阪神間にもおよび、サッカーの博覧強記・田辺五兵衛さん(故人・第1回日本サッカー殿堂入り)から「水害で我が家が水に浸かってたくさんの書物を台無しにした」と何度も聞かされた。
 幸いなことに、このとき我が家は、被害はなく、神戸一中蹴球部はこの年8月の全国中学校選手権大会で優勝した。東西が短くなったグラウンドの南北にゴールを置き換えて練習したが、街と学校とサッカーの復興ぶりに、人の力を改めて感心したものだった。
 もちろん、地域の被害だけだったから、復旧のスピードも早かったのだろうが、この少年期の思いはその後、太平洋戦争の神戸大空襲(1945年6月)でわが家が焼失したときも、1995年の阪神大震災で被災した時も、あまり変わることはなかった。
 70歳を過ぎて出会った阪神大震災は、それまで地震と言えば関東の話だと思っていた。いわば想定外の出来事だったからショックも大きかった。書斎兼事務所として借りていた7階建て鉄筋コンクリート(1階がカーポートで壁面なし)のマンションが全壊した。電話の通じないとき、2日後に東京の公衆電話から大住良之さんの声が届いた。
 「本の下敷きになってケガしていないかと心配していました」が第一声だった。
 大地震の前の年が94年ワールドカップ・アメリカ大会だった。その前の年はロサンゼルスでの大地震があった。大きな橋が倒壊したのを見た日本の土木関係者が、日本では考えられない光景だったと言ったが、阪神では橋どころか、高速道路が横倒しになって長々とその横っ腹と足下をさらけ出してしまった。
 自然の力の大きさに対して謙虚でなければ――と思ったものだ。
 今度の大震災での私の衝撃の一つは、西暦869年の平安時代の記録(続日本記)どうやらとても大きな地震と津波があったと知ったことだ。仙台市の北東の多賀城とう内陸部までに津波が押し寄せ千人の命が奪われたという。地震学者たちが、その規模を学問上実証している折りだったという。私たちの経験の範囲内の30年周期の東北沖の地震や津波とは別に1000年周期の大きな地震があったかもしれないのである。
 歴史を学ぶ者にとって、遠くを見る目、長い目が必要なことをこのような大事件のときに思い知らされるとは――スポーツのようなスパンの短いものも、また同じであろう。
 被害者に救援の物資が早く届くこと、原発に立ち向かう人たちの成功を念じつつ――。


(サッカーマガジン 2011年4月5日号)

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