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74年と61年の相似、スローテンポ

 74年のユーゴの試合を見ながら感じたのは、13年前の1961年11月28日、東京で日本代表と試合をしたユーゴ代表と、あまりにもスタイル、フィーリングが同じだということだった。

 1960年のローマ・オリンピックで優勝したユーゴは、このときの主力を中心に62年のチリW杯のチームをつくり、このチリ大会予選で韓国と戦い、その4日後に東京で日本との親善試合を行なったのだった。一人一人のボールの持ち方、上位を立てて、ちょっと腰を落とした感じ、直線的に進んで行って、突然、立ち止まり、突然ターンをする。そのプレースタイルが、13年たってもぜんぜん変わらず、あまりにも似ていると感じたものだ。

 ヨーロッパの記者たちは、ユーゴのボールテクニックの高さを“バルカンのブラジル”などと言っていたが、わたしは、スローテンポでのボールキープと、スラブ舞曲でのダンスのようなステップがおもしろかった。

 同じダニューブ河(ドナウ河)沿いに首都を持つハンガリーが、ユーゴ同様に創造性あるサッカーを看板としながら、スロー(緩)からクイック(急)へのテンポの変化に特色があったのと違って、このときのユーゴは、スローまたスローで、あくまでも基調はスローだった。このスローなキープで相手を圧迫する時間が長いことと、その優位の長いわりにゴールの少ないことが、このころのユーゴの特色になっていた。


(サッカーダイジェスト 1989年12月号「蹴球その国・人・歩」)

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