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「東京」を2年後に控え、早慶の連合FWで 英国アマの強チームに4-0

 1938年(昭和13年)4月7日の東京は早朝から雨だった。「正午前に激しく降り、午後2時のキックオフ前にはやや好転し、試合の後半には曇天、風もなくなった。神宮競技場のフィールドは重く、芝生は若芽が揃っていないので足を奪われることが多く、上々のコンディションとは言えなかった」。世界一周途中のイングランド・コリンシャンズと全関東との試合当日の様子を朝日新聞のサッカー記者・山田午郎さん(1894-1958年、第1回日本サッカー殿堂入り)はこう記している。
 前年の10月にロンドンを出発した同チームは前号紹介の通り、ヨーロッパ、エジプト、インド、マレーなどを回り、香港、フィリピン(マニラ)、上海と東アジアを転戦してやってきた。JFAは同クラブからの申し入れを受けて、3月5日の理事会で試合を4月7日に行うことを決め、3月22日に正式発表した。
 遠征チーム、特に船旅による世界一周という、今の私たちに想像し難い環境の中で、81戦、58勝16引き分け7敗という好成績を重ねてきた同チームだが、上海から神戸への旅程が1日遅れて、4月6日到着となり、東海道線の夜行列車での東上、4月7日朝の東京着となった。旅に慣れ、試合経験十分のチームにとっても、東京着その日のぶっつけ本番は、すべりやすい競技場以上にハンディとなったかもしれない。
 中華民国での戦況拡大によって英米などの国々との国際関係が厳しくなっていたが、JFAは英国アマチュアきっての強チーム来日というので、3月に行っていた代表合宿のなかから「全関東」という名のもとに対戦チームを編成した。当時の風潮から日本代表の名で試合をして、もし敗れた時のことを考えての「関東」だったという。そういう声も気にしなければならない時代にあったのだが、杉村正三郎レフェリーのホイッスルで始まった試合は、全関東の勢いが勝って、90分後には4-0という驚くほどの大差になった。
 試合の経過をみると――、開始1分に二宮洋一(CF、慶大)のシュートに始まり、関東側が再三攻め込み、チャンスをつくった。
 ゴールが生まれたのは39分、金容植(LH、早大)のドリブルから、左ウイングの加茂正五(早大)へパスが渡り、ここからクロスが入って、二宮がヘディングを決めた。前述の山田さんの記述によると、「英軍が(防御)策を施すことのできぬ、定石的コースを狙った決定的なもの」とある。クロスからのヘディングという、いわばイングランド流のお株を奪うコースで、金容植のドリブル力、加茂正のドリブルの後のクロスのタイミングの正確さ、上背はそれほどないが、ジャンプヘッドの強い二宮のそれぞれの技術が見事に組み合わさったのだと想像される。
 2点目は、後半の20分、右インサイドFWの播磨幸太郎(慶大)からのパスを受けて前進した二宮から右の加茂正にパスが出て、加茂正がドリブルでGKをつりだしてゴール右隅のシュートを決めた。二宮は前半に、再三オフサイドトラップに引っかかっていたのだ…。
 相手にもチャンスはあった。8分のPKを、このチームの中心、シャーウッドが蹴ったが、GK津田幸男(慶大)がパンチで逃れた。
 13分に、加茂兄弟のパス攻撃から加茂健(兄、早大)―二宮と渡って、二宮からのスルーパスを加茂健がシュートして胸のすくような3点目を加えた。4点目は43分、今度は右サイドの播磨からウイングの篠崎三郎(慶大)にパスが出て、篠崎からのクロスをGKロングマンが飛び出したが捕れず、加茂正が確実にサイドキックで決めた。

 試合後にイズリントン・コリンシャンズのトーマス・スミス団長は「上海で日本チームの強いことを聞いて、ベストチームで対戦したかったが、かつてない不成績に終わった。期待してくれた日本ファンを失望させて申し訳ないと思う。80回という多くの試合を重ねて、選手も気分的に低調であったかもしれないし、両ウイングとゴールゲッターのシャーウッドが不調だったのも残念だ。
 それに引き換え、日本チームは素晴らしい。コリンシャンズを圧倒したコンビネーションに優れたFWには称賛を呈したい。重いフィールドでもつなぐ、胸のすくようなショートパスと見事な球さばきはワンダフルだった。加茂兄弟や金容植、種田孝一(3FBのCB、東大)、LBの菊池宏(東大)も優秀であった。こんなに強くては、自分たちの零敗も順当だろう。惨敗を喫したが、私は決して不快ではない。日本が優秀なことを発見して喜んでいる。英国のアマチュアの一流と比べても遜色はない」全関東をほめた。
 日本側にとっては、相手が期待ほどの強さを見せなかったのには目算はずれだったが、ともかくも、体格の大きな相手のロングボールに対してもDF陣が対応できたこと、そして、ベルリン組と次の世代の組み合わせで日本代表の進化が見えたこと、FWのパス攻撃で4ゴールを奪ったことで、「東京」に向かっての歩みに自信を深めたのだった。
 山田午郎さんは「4-0の快勝は偶然ではない」と記している。


(サッカーマガジン 2011年6月7日号)

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