賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >神戸一中vs崇仁商業に見る 戦前黄金期のU-17

神戸一中vs崇仁商業に見る 戦前黄金期のU-17

 U-17も、女子のなでしこも、それぞれのワールドカップでの日本代表の活躍のおかげで、この夏の楽しみが増えた。U-17はそれぞれの選手たち自身が成長期にあることで、何十年も前からこの部門に関心を持ち続けてきた私にはとても参考になった。
 同時にドイツでの大会は急速な発展期に入った女子サッカー界の現状そのままが映し出されて、とても面白かった。1次リーグB組最終戦で「なでしこ」を倒したイングランドの監督が、試合前に「日本はとても技術が高い」と言いながら、対策を問われて「ただ走り回るだけ」と言っていたが、それは自分たちが徹底的に頑張るということだったはず。
 彼女たちがグループステージ突破に強い意欲を持ったのも、その背景に今年からイングランドでこれまでの女子プレミアリーグに代わる新しいトップリーグのFA女子スーパーリーグ(ウィメンズ・スーパーリーグ、略称WSL)というセミプロリーグが生まれて、クラブの運営や選手の待遇などが永続できる体制になったこともあったと思う。
 さて、連載は昔のU-17ともいうべき全国中等学校選手権(U-20の師範学校も参加していた)に戻る。昭和13年(1938年)、夏の第28回大会準決勝、神戸一中(兵庫)対朝鮮地方代表、崇仁商業である。
 前半は崇仁が優勢だった。ボール扱いはうまい。体は頑健で、足も速い――という。ここまで2試合の印象どおりだった。そのキープ力とキック力に押されながらも、神戸一中は無失点でしのいだ。
 当時の朝日新聞記者、というより「大評論家」であった山田午郎さんは「崇仁はその優れた体力と伝統のフットワークで、前半は神戸一中の守備陣をかき回したが、ゴール前の粗雑な球さばきと、チャンスを熟ませる術を知らず、また判断を誤ってゴール攻略が成らなかった。これが前半に成ったならば、神戸一中の五度目の制覇を阻み、崇仁の優勝となったかもしれない」と記している。
 それはひとつには、シュートのうまいCFを、3FBの中央を守るCH(センターハーフ=当時の呼称、いまでいうCB)の松浦巌が名のごとく、岩のように立ちふさがり、相手に前を向かせなかったし、反転のシュートの際にも、タイミングのいいタックルで抑えていたこと。そして、もう一つはシュートのタイミングが遅れることが多かったことによると言える。
 HB芦田信夫(中学生)の話によると、「相手とぶつかってケガをしてはいけない――と河本春男部長が『接触プレーを避けるように』と言っていた。試合になったら、そんなこと言っておられない。どこかの場面でつい『当たれ』と叫んでいた」。「皆木忠夫さん(5年生=インサイドFW)が何かの時に、相手にバーンとぶつかっていった。ボールを奪って『やれるじゃない』と思った」
 CFだった兄・太郎(4年生、15歳)は「崇仁は強いし、当たりも激しい。と聞いて、みな始めのうちは緊張してコチコチになっていた。FKを蹴るのにこちらのFBがミスキックしたぐらいだった。そんな中でトモ(友貞健太郎)が右サイドでボールを持ち、彼の足を警戒して、遠い間合いをとっている相手に、手招きをして『来い、来い』と挑発したのには驚いた」と言っている。
 私より3歳上の友貞さんは2年生の時から全国選手権に出場して優勝メンバーとなっている。そのときはHBで5歳年長の天王寺師範のキャプテンのウイングをマークしていた。俊足のドリブラーのトモさんが相手を抜いてみせたので、太郎たちもやれると思ったらしい。

 少しビビッて、硬くなっていたのがほぐれると、ボールが回るようになるのは、今も昔も同じU-17というところか。近頃のコメンテイターの言葉を借りると、崇仁は「取れるときに点をとらなかった」のがこたえたことになる。いや彼らはそうではなく、後半には一層の体力差がついて得点できると思ったのかもしれない。
 しかし、ゴールしたのは神戸一中だった。「1点目はCFのボクがエリアの外でボールをキープした。用心して相手は飛び込んでこない。右のトモが走り込む動きが見えた。エリアの右内側へ流し込むと彼はダッシュで相手を振り切り、ダイレクトで右足シュートを決めた」(兄・太郎の話)。「2点目は、ボクが右前へ走って、ボールをトモから受けて、ペナルティーエリア、ゴールラインぎりぎりから浮かせたクロスを出した。ゴールキーパーを越えて、皆木さんがヘディングで決めた」
 皆木さんは、神戸の医師の家業の3人兄弟の長兄で、3人とも私の仲間。末弟の吉泰は元神戸市協会会長(42年全国大会、神戸大会の2冠)。次男・良夫は私より1年上(元日本サッカー後援会事務局長、早大主将)。忠男さんは、六高、京大、住友金属サッカー部(鹿島アントラーズの前身)の部長も務めた。
 その小柄な皆木さんが、ヘディングで決めるのをスタンドで見ていた私は「小さくてもヘディングで点を取れるのだな」と思った。
 崇仁の反撃はすごかったが、スコアは2-0で動かなかった。


(サッカーマガジン 2011年7月26日号)

↑ このページの先頭に戻る