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【番外編】90年の日本サッカーの歴史の最高の勝利 諦めない心をゴールに結びつけた高い技術

 今年2011年はJFA(日本サッカー協会)創立90周年の節目にあたる。この連載も、その足取りを辿る企画なのだが、9月10日の協会設立記念日を2カ月後に控えて、90年の歴史の中で、最高の勝利をドイツからのテレビ放送で見た。
 7月18日午前6時20分、なでしこジャパンがフランクフルトでの、女子ワールドカップ決勝で、アメリカ合衆国と2-2で引き分け、PK戦を3-1で制したのだった。
 彼女たちの奮闘と優勝によって日本中が沸き立ち、19日の帰国以降もメディアの報道が耐えることがない。
 記者会見やテレビでの司会者とのやりとりを聞いていて、多くの人たちは澤穂希キャプテンの「全員が諦めることなく走った」という言葉に感銘を受けたはず。私もその一人だが、同時に若い彼女たちの多くが「自分たちのすぐ上の先輩、またはもっと上の先輩たちあっての優勝」と答えていたのが印象的だった。
 なでしこの精神的な強さや、それを培った背景について語りたいことも多いが、FIFAのブラッター会長が「日本がアメリカに勝ったのは幸運とは言えない。彼女たちはドイツに勝ったときに、すでに自分たちのランクを上げていたのだ」と言っている。そうは言ってもアメリカはやはり強いチームだった。私は自分のブログに、幸運があったから勝った。その幸運を引き寄せたのはなでしこの力だった――と記したが、それは澤キャプテンとチーム全員の「諦めない気持ちの強さ」とともに、彼女たちが培った技術と鍛えた体力だったと思う。
  試合のあとで問い合わせがあった2度目の同点ゴール、延長後半、それも、あと3分というところでの左CKでの澤のゴールだった。
 このCKの前に、日本が攻め、澤のスルーパスを右サイドバックの近賀ゆかりが走り込んだ。それを防ごうと飛び出したGKソロが仲間とぶつかってしばらく倒れた場面があった。GKの治療の間にテレビは少し離れたところで澤と宮間あやが、並んで立っているのを映していた。どういう打ち合わせをしたのか――、宮間は、右足でニアポストへ蹴った。ボールはライナーだったが、ヘディングする高さではなかった。ジャンプした澤がおそらく右足のアウトで当てたのだろう。
 ボールはあっという間にゴールへ飛び込んだ。澤が中央近くからニアへ走り込んだのを背番号19番が追ったが、体を寄せはしたが、ボールを止めることはできなかった。ポスト際にもう一人、そしてGKも止められなかった。
 蹴る、止めるといった技術のしっかりしている澤はヘディングも上手だ。そして、そのためのボールへ寄るタイミング、相手との駆け引きも巧みで、それが発揮された。その澤の力を生かした宮間のキックもまた彼女自身が積み重ねたものだ。ほとんど押されっぱなしの試合でリードされていて、最後に近いチャンスに、きちんと蹴れるのは誠に素晴らしい。伝聞によるとヘディングでいくつもり(もちろん、その方が正確に得点を狙えるだろうが)だったのが、ボールの高さがそうではなかったとのことだが、むしろあの高さだったから澤が右足に当てた瞬間は相手には見えなかっただろう。

 宮間は、この試合でノーマルタイムの81分に同点ゴールを決めている。右サイドから永里優季が送ってきたクロスを丸山桂里奈がシュートにいって相手DFとともに倒れ、クリアしようとした相手のキックが、もう一人のDFの足に当たる。そこにいた宮間が、そのリバウンドを蹴った。それは左足のアウトサイドでのキックだった。
 DFに当たって宮間の左前から中央を通り過ぎようとしたボールをとっさに足を出したところに、右でも左でもCKを蹴る「両足使い」の彼女の技術と言えた。「左から来るボールを左足でタッチする方が右でタッチするより早い」とは、70年代の大スターであり、今をときめくバルセロナの「大御所」ヨハン・クライフの言葉。彼が右も左もきちんとボールを扱うのを見て感心した私に対しての解説だった。
 練習環境に恵まれた時代に、右も左も蹴れるプレーヤーがもっと多くいてもいいのにと思っていたら、その見本がなでしこにあった。
 宮間のキックだけでなく、素晴らしいプレーの見本が、大舞台でたくさんあった。別の機会、または私のウェブサイトで見ていただくとしよう。アメリカの力強いサッカーも、また理にかなって見事だったこと、そのアメリカと対等に戦ったブラジルも、あるいはフランスも、そしてドイツもまた良いチームであったことをお伝えし、忘れないでいたいもの――。そういう良い相手とロンドンで戦い、もう一度メダルの座に就くことは、どれだけ大変で、どれだけ素晴らしいことかは、なでしこの一人ひとりが知っているだろう。


(サッカーマガジン 2011年8月9日号)

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