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ドルトムントで6位、ロンドンで試合 欧州で見聞を広めた現代のリーダーたち

 1953年の国際学生スポーツ週間(西ドイツ、ドルトムント市、8月6日〜16日)に参加した日本学生チームは、6日の第1戦、対西ドイツに3-4で惜敗したあと、11日にルクセンブルクと戦い、8-2で大勝した。この総合スポーツ大会の参加国は21競技は7種目で、日本からは陸上、フェンシングと、サッカーの3種目が参加した。サッカーは日本を含む10カ国が集まった。グループ分けは3、2、2、3チームずつの4組で、3チームの組は総当たりリーグ、2チームの組は2試合して順位を決め、各組の1位による1-4位、2位による5-8位、二つの3位で9、10位を決めた。
 日本は、1組で、西ドイツに負け、ルクセンブルクに勝って2位となって、5-8位戦に加わり、8月12日にザール(7-1。ドイツ連邦州の一つ、当時フランスの統治地域で独自の協会があった)を破り、14日にエジプト(0-3)に敗れて6位になった。
 エジプトは第4組でスペインに負け、オランダに勝っての2位で、順位決定戦で第3組2位のベルギーを破って日本と対戦したのだった。彼らは西ドイツ(日本が惜敗した相手)より技術は高く、身のこなしも上だった。
 決勝はユーゴスラビアとスペインとなり、ユーゴが3-0で勝った。
 各チームの力を比べると、ユーゴ、スペイン、エジプトの3カ国がトップレベルで、他の7カ国とは差があった。
 この学生大会のあと、先述のとおり、日本学生チームはスウェーデン、フランス、ベルギー、英国、スイス、ユーゴ、イタリアなどを回る大旅行ののち、9月18日に帰国したのだが、その中で、スウェーデンでA級リーグの強チームと、ロンドンでは初めて編成された「英国大学選抜チーム」と対戦し、またユーゴでは学生チームが相手だったが、有名なパルチザン・ベオグラードのホームスタジアムで試合をするなど、多くの経験を積んだ。
 学生スポーツ大会でも、これら各国の試合でも、そのときどきの選手のコンディションによって、良い試合であったり、出来の良くない試合もあったが、ヨーロッパを回ってサッカーを経験しつつ、見聞を広めるということでは、まず申し分ない大ツアーであったと言える。

 役員の一人に大谷四郎さん(故人、第5回日本サッカー殿堂入り)がマネージャー兼コーチで同行しながら、帰国直後は当時のサッカー環境を反映して、あまり多くの活字にはならなかったが、約20年ののち、わがサッカーマガジン誌上で「学生サッカー初めてヨーロッパを独り歩く」(大谷四郎)が掲載された。
 昭和50年(1975年)1月号から51年5月25日号にいたる25回の連載だった。
 几帳面で現地の新聞の切り抜きや、学生スポーツ週間の大会プログラム(デイリー)など一切を2冊のスクラップブックに整理して保存していた。
 そうした持ち帰った資料とご自分のメモとを照らし合わせ、その間に20余年の記者経験、サッカー指導の積み重ねを合わせた大谷記者の熟達の紀行が、マガジン誌上を飾ったことは、まことに今の私たちにもありがたいことだ。(ウェブサイト「賀川サッカーライブラリー」内Stories「学生サッカー初めてヨーロッパを独り往くby大谷四郎」をご覧ください)
 のちに日本サッカーのリーダーとなった長沼健さん(故人、第8回JFA会長)や岡野俊一郎さん(第9回JFA会長)や平木隆三さん(故人、第1回日本サッカー殿堂入り)や山路修さん(元日本代表、元日本サッカー後援会事務局長)、井上健さん(故人、JSL運営にかかわった)はじめ、このときの学生チームのメンバーの多くが長くサッカーのために尽くしたのをみれば、この「ヨーロッパ行」の影響の大きさが知れるのだが、この遠征のハイライトの一つ、ロンドンでの対英国学生チームの試合の様子をサッカーマガジン昭和50年10月25日号から抜粋しておきたい。 
 『日本チームがサッカーの生まれ故郷英国で行う初めての試合で、われわれにとっても遠征最大の夢だった。9月2日の試合は、前半は押され、後半は対等だったが、結局0-2で敗れた。1点も返されないで敗れたが、相手側はどうみたか。翌朝の新聞を見る。
 「日本のゴールキーパー(村岡博人)は3000観客の歓呼を浴びた。アマチュア代表が5人いる全英より、日本の方がよく訓練されていた。日本で身長の高い山路は英側のどのサイドバックに劣らず粘り強い選手だった」(ニューズクロニクル)
 「日本は0-2で敗れたが、面目を失うどころか、むしろ全英をしのぐプレーを見せた。英国の教科書からの勉強に加えて今回のヨーロッパ遠征の経験は、日本チームをはつらつとした、非常に興味をそそるチームにしていた」(マンチェスターガーディアン)』


(サッカーマガジン 2011年11月29日号)

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