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優勢に戦いながら勝てなかった第2戦 半世紀に及ぶ日韓対決の歴史を予感

 半世紀を超える日韓サッカーの記念すべき初対戦、1954年(昭和29年)3月7日、14日のワールドカップ・スイス大会アジア予選の2試合は、韓国が1勝1分けで制して本大会の出場権を獲得した。
 初戦を1-5の惨敗に終わった日本では「敗軍の将兵を語らず」ということなのか、JFA(日本サッカー協会)の歴史記述の中でも、第2戦(2-2)についてあまり語られていないが、日本、韓国の代表対決ということからみれば、第2戦が、まさに日韓の戦いと言えた。
 第1戦とは違って、快晴、微風の好天に恵まれ、泥んこ状態だった神宮競技場のグラウンドも、修繕されていた。
 そこで演じられた試合は、技術と組織力を強く打ち出す日本と、パワーと個人技を生かそうとする韓国という両国サッカーのカラーが表れていて、いまに至る代表対決の構図を描いていた。
 第1戦の惨敗を嘆くよりも、この第2戦で、何故韓国側を疲労困憊させたのか、また、何故それでも勝てなかったのかを考えれば、日本サッカーについての理解も深まり、世界に追いつくスピードも早くなったかもしれない――と思う。
 さて、その54年3月14日、いまの「良好な芝生」にはほど遠くても、ピッチは当時としては申し分ない状態。
 日本の技術とパスワークが生きて、16分に岩谷俊夫のシュートで1-0としたが、崔貞敏のシュートのリバウンドを鄭南Gに決められて同点、さらに前半42分に崔貞敏のシュートで1-2。
しかし日本は、60分に左DFの岡田吉夫がドリブルで持ち上がって中央へパス、これを岩谷が決めて2-2とし、このあとも攻勢を続けたが、韓国の粘り強い守りから3点目を取れなかった。
 「負け試合だったが、粘り強く戦い、引き分けにできた」と言うのが韓国側の感想であり、「勝てる試合に勝てなかった」というのが日本側の無念の声だった。
 J・ハラン主審は「良いコンディションに恵まれて、両チームの特色が表れた素晴らしい試合だった」と言った。
 日本のメンバーは、GK渡部英磨、DF平木隆三、松永信夫、岡田吉夫、MF高林隆、大埜正雄、賀川太郎、岩谷俊夫、FW鴇田正憲、川本泰三、加納孝(3-4-3の形の表記)で、第1戦との連続出場は岡田、賀川、加納の3人。
 40歳のベテラン川本(36年ベルリン・オリンピックで日本代表初のゴール記録)が出場したのは、シュート力とともに、攻撃のときのプレーメイクを生かすつもりだったろう。
 ドリブルのうまい右の鴇田、左の加納の両ウイング、いまでいうサイドからの攻めも効果的だったし、自在のポジションに動く川本を追い越す第2列の岩谷の飛び出しも生きた。彼の2ゴールは第1回アジア大会3位決定戦(2-0アフガニスタン)に続くもの。1点目は加納からのクロス、2点目は岡田からのパスを決めた。左DF岡田がドリブルで相手二人をかわしての長い攻め上がりからパスを送った。
 竹腰重丸監督の「本格的なDFの攻撃参加」というチームの方針と、早大時代に左ウイングを経験した岡田自身の発想だった。
 半世紀前の長友佑都的サイドバックというべきか…。

 センタースリーによる柔らかいキープに始まる変化の多い攻めは、2得点だけでなく多くのチャンスを生んだ。鴇田のシュートがポストをたたき、川本のシュートはGK洪徳泳が防いだ。
 「惜しかったのはあと5分ぐらいのところでの川本さんのシュートだった。ゴールキーパーを抜いたが、相手DFの懸命なゴールカバーに防がれた」とは、兄・太郎の話。この人の得意の形だったから、仲間たちも「ゴール!」と思ったが、入らなかった。相手側の「諦めない粘り」か、「名人」川本の40歳のシュートの力が衰えたのか。
 受け身になった韓国が引き分けにできたのは、有能なCF崔貞敏がいたためだろう。
 朝鮮動乱のときに北朝鮮の軍人であったといい、韓国籍をとるまでにいろいろな経緯があったはずだが。右、左ともシュートが利き、相手を背にしてのポストも、ターンしてシュートへ持って行くプレーもできるだけでなく、オープンスペースへの飛び出しからのボールキープも巧みで、その実力はすでにアジアで評判になろうとしていた。
 そしてまた、韓国代表の試合を諦めない粘り強さが、日本の攻めを防ぎきった。川本のシュートを蹴りだしたDF李鐘甲のゴールカバーも優れたGK洪徳泳の好守もそうだった。国を挙げての対日本戦への期待、在日韓国人のバックアップが背後にあった。新しい隣国を相手に日本は、もっと技術を高め、体力を練る努力の必要を痛感したはずだった。
 この初の日韓戦については大島裕史さんの「日韓キックオフ伝説」(実業の日本社、1996年発刊)の一読をお勧めしたい。韓国側での調査も行き届いていて、両国の歴史背景もよく理解できる。


(サッカーマガジン 2011年12月20日号)

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