賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >やわらかなタッチでボールを浮かせ、DFをかわしてシュート ペレの技術はいまの日本にも ペレ(中)

やわらかなタッチでボールを浮かせ、DFをかわしてシュート ペレの技術はいまの日本にも ペレ(中)

世界を驚嘆させたプレーの再現

 前号に続いて“王様”ペレについて――。
 1972年5月26日、東京・国立競技場で、私たちはペレとサントスFCが日本代表と試合(3−0)をして、ペレがすばらしいゴールを2度決めるのを見た。彼の1点目は、マークする山口芳忠を背にして後方からのパスをトラップするところから始まった。足元にきたショートバウンドのボールをタッチして胸の高さに上げ、胸で押し出すようにして山口と川上信夫の間を通り抜け、左肩と左腕で山口の妨害を押さえつつ、ワンバウンドのボールを右足ボレーでシュートした。
 2点目はその2分後、後半31分に生まれた。
 後方からのボールを胸でトラップしたペレは、落下するボールを右足で前方へ浮かせて山口を置き去りにし、バウンドしたボールを頭に当てて前へ落とし、小城得達をかわすとともに、右足ボレーシュートをゴール(ニアサイド)へたたき込んだ。
 1点目もすばらしかったが、2点目は彼自身が「生涯最高のゴールの一つ」と喜んだ傑作。17歳のワールドカップ・スウェーデン大会の決勝(対スウェーデン)で、スウェーデンのDFを次々にかわしたゴールと比べられる「ペレ」のゴールだった。
 この決勝(ブラジル5−2スウェーデン)のハイライトとなったペレのゴール(チーム3点目)はペレがジャウマ・サントスからのロビングを落下点で受けて、太もものトラッピングでボールを浮かせてDFグスタフソンの頭上を抜き、自分はその背後へ回り込んで、落下するボールを今度は足で受けてベルエソンの上を再び抜いて、もう一度背後へ動いてボレーシュートを決めたのだった。
 17歳の時に世界を驚嘆させた、ボールを浮かせて相手2人を次々に抜いてのシュートを、14年後に日本で再現したのだった。
 ワールドカップに4度出場して3度優勝して、プロのキャリアですでに通算1000ゴールを突破していた。ペレにとって、この夜のゴールは1204点目、1205点目のハズ。  ストライカーとしての得点記録は以下の通り。
 *サントスFC/1089得点(56〜74年、19年間、1115試合)
 *ブラジル代表/95得点(57〜71年、15年間、112試合)
 *北米リーグ・ニューヨーク・コスモス/63得点(75〜77年、3年間、105試合)
 *その他の試合を合わせ、生涯得点1282得点(1364試合)


柿谷が見せたゴール

 ニューヨーク・コスモス時代のペレも「やはり偉大」だったが、そのコスモスを去り、選手を引退した後も彼は日本のファンに大きなプレゼントを残した。
 1984年8月、国立競技場でのストライカー、釜本邦茂の引退試合(ヤンマー・ディーゼル対日本サッカーリーグ選抜)に特別参加した彼は、ドイツの名選手ヴォルフガング・オベラーツとともにヤンマー側でプレー、巧みなパスでチャンスをつくり、時にはオーバーヘッドシュートを披露した。驚いたのは試合の後で、釜本を肩車し大観衆の歓呼に応じたことだった。ファンの釜本に対する気持ちをくんだのだろうが、フットボーラーを愛し、ファンを愛するペレの純粋さに私たちは心打たれたのだった。

 昨年のJリーグは激戦、好ゲームが多く、最後まで優勝チームの決まらないスリリングな展開はJの魅力を大きくしたが、同時にまた、日本人ストライカーの競演が注目を集めた。なかでもセレッソの若い柿谷曜一朗は、その巧みなボールテクニックとしなやかなドリブルで人気を呼んだ。対アントラーズ戦で、ゴール近くでボールを浮かせてDFをかわし、落下するボールを右足アウトのボレーシュートを決めた得点が「ベストゴール賞」に選ばれた。柿谷は「ボールにタッチすれば思うところへボールを置ける(止められる)から……」と格別なこととは思っていないようだが……。
 56年前、当時17歳のペレがワールドカップの初舞台の決勝で演じたのと同種同質の、ボールを浮かせてマーク相手をかわしてシュートを決める――というプレーが、日本のJでも日常のこととなろうとしているところに、日本サッカーと世界の変革が表れている。


(月刊グラン2014年3月号 No.240)

↑ このページの先頭に戻る