賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >2014ブラジルのW杯を前に思う ペレの偉大さ ペレ(下)

2014ブラジルのW杯を前に思う ペレの偉大さ ペレ(下)

 22シーズン目のJリーグが開幕しました。名古屋という大都市をホームに、トヨタという世界企業をバックとする名古屋グランパスエイトは西野朗新監督の下に、2014年リーグを戦い、世界のビッグクラブへの実績を積み重ねることと期待しています。
 さて連載――日本サッカーに大きな功績のあった先人を紹介するこのページでは、前号に続いてエドソン・アランテス・ド・ナシメント。世界と日本に大きな影響を与えた、あのブラジルの“ペレ”の3回目です。


ボールテクニックの大切さ

 1940年10月23日、ブラジルのミナスジェライス州の小さな町、トレス・コラソンエスで生まれたペレは15歳でサントスFCに入り、17歳でブラジル代表となり、ブラジル代表でワールドカップに4度出場して3度優勝、サントスFCではサンパウロ州選手権で優勝10回、ブラジルカップ優勝4回、インターコンチネンタルカップ(現・FIFAクラブワールドカップ)の優勝2回を記録した。代表を引退し、サントスFCでのプレーをやめた後、75年にNASL(北米サッカーリーグ)のニューヨーク・コスモスで3年間プレーし、コスモスに優勝をもたらすとともに“サッカー不毛の地”といわれたアメリカにこの競技を浸透させたことも大きな功績となっている。サッカーの長い歴史の中でペレと彼に続く一連のプレーヤーによって、「ボールを扱う技術」の大切さを世界中が学んだ。
 1863年にイングランドでFA(フットボール・アソシエーション=イングランドサッカー協会)が誕生し、“手を使わないフットボール”(サッカー)のルールが統一され、それが世界中に広まった。30年に始まったワールドカップは、当時アマチュアだけの参加と決めていたオリンピックとは別に、「誰もが参加できる」世界選手権大会として人気を高め、サッカーの地球上での浸透を早め、各地域や国々でトップ・リーグ、プロフェッショナル・リーグが盛んになった。
 58年、ペレが17歳のときのブラジル代表のワールドカップ優勝は、北ヨーロッパの国々の大柄で強い体を生かす激しいサッカーに対して、ボールを止める、蹴る、ドリブルするといったボールテクニックに優れたブラジル流が優位に立ったことを示し、小柄でやせた少年ペレが大型のスウェーデン・ディフェンダーの間をボールとともにすり抜ける技巧がその象徴でもあった。ヨーロッパ勢が走力を増し、組織力を高め、ブラジル流に立ち向かったが、ペレの3回目の優勝となった70年大会は、その技術が組織プレーを伴うことでさらに一段上にあることを見せたのだった。


メッシやC・ロナウド

 今年は70年のワールドカップから44年目。その間、10回の大会でブラジルは2度優勝した。自国での開催で6度目の優勝を狙うのは当然――。若いネイマールをはじめ粒ぞろいの代表は、サポーターの期待を集めているが、ヨーロッパもブラジル同様にボールテクニックを重視する国々が増え、代表チームが大幅なレベルアップしているところが増えている。
 74年に「プレッシング・サッカー」で世界に新しい風を吹き込んだオランダの天才、ヨハン・クライフがスペインのFCバルセロナにその流儀を植えつけ、個人技術、ボールテクニックを重視した育成との巧みな結合で、まずバルセロナ、ついでスペインの各クラブのレベルアップとなり、さらに、その傾向がヨーロッパ各国に及び、それぞれの代表の向上につながっている。そしてまた、こうした欧州サッカーの向上は、ここへ選手を送り込んでいる世界各国のレベルアップにつながる。
 今年のワールドカップ出場国を見れば、クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)、リオネル・メッシ(アルゼンチン)をはじめ、これまでになく多くの優秀選手の顔ぶれを見ることになる。
 日本もまた、ようやく代表チームの中に技術的にも引けを取らないプレーヤーが多くなってきた。「個人技のアップなくしてチーム力の向上はない」との昔からの考えの上に、ペレに啓発され、また来日したブラジル人選手たちによって刺激を受けて、いまや「技術ではヨーロッパ選手より上」といわれるまでになってきた。
 ペレの故郷、ブラジルでの今年のワールドカップの技術レベルの高さを見つめ、そこに参加する日本代表の一人一人のボール扱いを注視するとき、あらためてペレの偉大さを思うことになる。


(月刊グラン2014年4月号 No.241)

↑ このページの先頭に戻る