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コーチ60人、選手200人が国外で

 いまから40余年前の1958年の第3回アジア大会で、わたしはインドネシアのコーチをしていたユーゴ人、ポガチニク氏に会ったことがある。選手団名簿で名前に興味を持ちインタビューしたのだが、そのころ、すでにユーゴ人のコーチで国外で働く者は多いと言っていた。
 ポガチニクは、後にアジアで有名なコーチになったが、イタリアのユベントスからスペインのバルセロナ、さらにはエジプトやクウェートを教えたブロジッチをはじめ、全世界には、いまでも60人ものコーチが散っているという。近いところでは、86年メキシコW杯でメキシコチームを指揮し、2次ラウンドまで進めて開催国民を喜ばせている。

 1974〜80年まで、西ドイツのブンデスリーガでプレーしたユーゴ出身者は24人にもなった。フランス・リーグでもイタリア・リーグでもユーゴ人がいた。ペレやベッケンバウアーの加入で、一気に有名になった70年代後半のニューヨーク・コスモスが、アメリカのサッカーに与えた影響は大きいが、このチームの中でも、ボギチェビッチとブルヤンの2人のユーゴ人は欠かせない戦力だった。
 80年の、サッカーの本家と自認するイングランド・リーグにも、名門マンチェスター・Uにヨバノビッチ、マンチェスター・Cにステファノビッチがいた。また、ロンドンのチェルシーには、パルチザンからGKボロタが来ていた。こうして、ユーゴ人は世界のサッカーに顔を出した。


(サッカーダイジェスト 1989年12月号「蹴球その国・人・歩」)

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