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バロンドールの華やかな場で FIFA会長賞を受賞した90歳

お騒がせしました

 書くことが好きで、スポーツが好きでスポーツ記者になり“この国”でもう少しサッカーを盛んにしたいと書き続けて63年、昨年末に90歳となり、その15日目の2015年1月12日、スイス・チューリヒでの「FIFAバロンドール2014」の表彰式で、FIFA会長賞をブラッター会長から手渡されました。
 毎年の世界最優秀選手を選び、表彰するバロンドール(黄金のボール)は、この男子最優秀選手だけでなく女子のワールド・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)、ワールド・コーチ・オブ・ザ・イヤー(最優秀監督、男子、女子)、ワールド・ベストイレブン(男子ベストプレーヤー11人)、プスカシュ賞(年間ベストゴール)、フェアプレー賞そして会長賞である。私たちは2011年に澤穂希さんが女子最優秀選手、佐々木則夫さんが最優秀監督賞を、それぞれ受賞されたのを知っているが、会長賞を受ける日本人は初めて。当日、WOWOWが深夜に2時間の生中継をした。超人気のクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシ、そしてワールドカップ・ブラジル大会で優勝したドイツ代表のGKマニエル・ノイアーがノミネートされたこともあって、多くのサッカー好きが目をこらし、バロンドール表彰式と90歳の老人の会長賞は、次の日のテレビ、新聞に取り上げられた。


12月19日に会長からEメール

 発端は昨年12月19日にFIFAのブラッター会長からのEメールが届いたことに――。Eメールを私は直接見ることはなく、一緒に仕事をしている本多克己さんが20日の朝、こういうメールが届いていますよと、パソコンで見せてくれた。
 「あなたにFIFA会長賞を贈りたいから、1月12日のバロンドール表彰式に出席してほしい」と記されていた。書き出しは、昨年7月、ブラジルで私がFIFAのインタビューを受けて、FIFAドットコムに記事が載ったこと、それを読んで長い私のサッカー人生にブラッターさんも、時にかかわったことを思い出したという、心のこもったものだった。体の調子も考えた。昨年、セルジオ越後に引っ張られたとはいっても、ブラジルまで片道20時間以上の旅行をしていて、チューリヒへ行けないとも言えない。「行きます」となり、そこから本多さんとFIFA、JFAとのやりとりが繰り返され、1月10日夜のエミレーツ航空で関空を出発し、11、12日は会長の客として指示通りのスケジュールをこなし、表彰式の次の日にすぐ帰国するところを、デットマール・クラーマーを訪ねたいからとフライトプランを変えてもらい、チューリヒからオーストリア国境に近い、ドイツのライト・イム・ヴィンクルの自宅を訪ね、ミュンヘンへ戻り、翌日14日にミュンヘン発ドバイ経由のエミレーツ航空機で関空に帰った。13日間行程は車。長くドイツにいる古くからの仲間、カメラマンのカイ・サワベさんがドライバーを務めてくれた。
 驚いたのは日本のメディアの会長賞へのすごい関心で、16日の朝からテレビの収録。17日も阪神・淡路大震災20周年のチャリティー試合を観戦するカガワ、選手たちと握手するカガワなどなどから、1月末の今に至るまで続いている。
 日本語、日本文だけで記事を書いてきて、国際的には知られていない私が表彰された理由については、ブラッター会長のメールや当日のスピーチなどからも推測し、きっかけは昨年のブラジル行きと、その際に89歳6カ月の私が、大会に集まったメディアの最年長記者ということで、インタビューをFIFAドットコムが掲載したことだと考えている。
 それにしても、私の書き物の内容についても詳しい様子なので、仲間の大住良之さんやJFAの渉外担当の加藤秀樹さんに「あなたの仕掛けなのか?」と聞いたら「そうじゃない」との答えだった。加藤さんはその時、「FIFAの調査力はすごいですよ」と言っていた。
 そういう詮索やバロンドールの反すうは楽しいが、ボツボツ試合を見て書く生活に戻りたい。
 バロンドールに出席していた佐々木監督にも、女子ワールドカップも見に来てくださいと言われ、その気になってしまっているのだから……。


(月刊グラン2015年3月号 No.252)

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