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“ベルリン”代表の殿堂入り 80年前の日本代表の光彩とその実力をしのぶ

 日本サッカー協会(JFA)はことしの“殿堂入り”は@1936年ベルリンオリンピック日本代表チームとAブラジル人で鹿島アントラーズと日本代表監督として功績のあったジーコと決め、9月10日に表彰、掲額すると発表した。
 80年前、初めて五輪に参加した日本代表は1回戦(ノックアウトシステム)で優勝候補といわれたスウェーデンを破る大番狂わせを演じて「ベルリンの奇跡」とヨーロッパを驚かせた。このときの16人の選手の中にはすでに個人として殿堂入りしている人もいるが、今回は全員をチームとして掲額する。
 ジーコは本名をアルトゥール・アントゥネス・コインブラといい、略称ジーコで世界中に通っている。1953年3月3日生まれ、今年63歳でブラジル代表などで活躍した後1991年に当時の日本リーグ2部の住友金属工業(後の鹿島アントラーズ)に加入し、93年Jリーグ開幕とともにリーグに加入した鹿島アントラーズをJの最強チームにするのに力があった。94年に選手引退後は、2006年ワールドカップの日本代表の監督を務めるなど日本サッカー向上、レベルアップの大きな力となった。
 ジーコについては、この連載でも彼が日本代表監督となったときに取り上げている。またベルリンオリンピックの代表についてはそのメンバーの何人かをこの連載で紹介しているのだが、今回はベルリン代表を今一度ふり返り戦前のサッカー史の光彩を見つめてみたい。
 ベルリンの代表チームは当時、関東大学リーグの優勝チームで日本最強の早大を主力に編成された。
 6年前の1930年にJFAは東京、関西の大学リーグの選抜チームをつくってその年の第9回極東大会(東京)に出場し、フィリピンに5―2で勝ち、中華民国(現在の中国)と3―3で引き分けた。東アジアで初めてトップに立ったことでJOC(日本オリンピック委員会)の中でもサッカーのオリンピック参加の声も出るようになった。残念なことに1932年のロサンゼルス大会はサッカーのアマチュア問題が解決せずに大会の競技種目から外され、日本サッカーの五輪参加はベルリンに持ち越された。早大が主力となったのはチームワークこそ日本の特色と考えたからだ。
 チームはシベリア鉄道を通り、陸路ベルリンの選手村に入り、3試合の練習試合を行うなど現地での準備に時間をかけた。
 すでにヨーロッパでは3FBの守備が一般的になっていて2FBシステムで試合をしていた日本選手には新知識となったが、種田孝一(おいた・こういち)という長身のCDFの適任者がいて3FB制を学び取り試合でも効果があった。
 大会はノックアウトシステムで行われ日本は8月4日の1回戦でスウェーデンと対戦した。体格に優れスピードにも優れるスウェーデンは前半に2点を奪って優位に立った。観戦者のほとんどは「勝負あった」と見たが、後半に日本が反撃して2―2とし、さらに3点目を加えて逆転した。
 歴史の上では長い間「ベルリンの奇跡」という言葉が先行していたが、1992年の欧州選手権(ユーロ92)のときに私がスウェーデンで調べてみると驚いたことに多くのスウェーデン人が、この試合の話を知っていた。父から聞いた、祖父に教えられたという人の多かったことだ。大会取材に来ていた日本人カメラマンの中に「ベルリン」を知らない人もいたのにである。
 それだけでなく、当時の日本の実力を評価し「パスがうまかった」「敏捷で運動量がスウェーデンより多かった」という声も多かった。
 この放送を担当したラジオアナウンサーが「そこにもヤパーナ(日本人)、ここにもヤパーナ、グラウンドのいたるところにヤパーナがいる」と叫んだことから本人にはしばらくヤパーナというあだ名がついたというエピソードを語る若い人もあった。
 日本がようやくプロ化に踏み切りJリーグがスタートしようというときだった。ベルリンで戦った相手、スウェーデンでの半世紀前のオリンピック敗戦について記憶と伝承の確かさにヨーロッパでのサッカーの厚みを知った。
 そういえば1951年に戦後初めての欧州チームとして来日したスウェーデンのクラブ「ヘルシンボリ」の団長の来日第一声は「ベルリンの借りを返しに来た」だった。
 80年後の殿堂入りで“ベルリン”が歴史としてサッカー人の胸に残ってくれることを願うとともに当時の日本代表の一人一人が、自分たちで工夫し、自ら激しい練習を課してチームワークも個人技術も伸ばし、本番の初試合でヨーロッパの強豪に勝つ力を備えたこと、その努力の一つ一つを解析し、今の日本サッカーの財産として生かしてほしいと考えている。


(月刊グラン2016年10月号 No.271)

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