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1986年メキシコW杯「史上最高のゲーム」

 テレ・サンターナのチームは、1986年のワールドカップで再び多くの人に感銘を与えた。
 今度はジーコの負傷が完全に回復していないというハンデがあり、ソクラテスも、ジュニオールも年齢からくる衰えに加えて、メキシコの暑さが足を引っ張っていた。
 それでも1次リーグを勝ち抜き、2次トーナメントの1回戦ではポーランドを撃破した。準々決勝の相手はプラティニ率いるフランス。彼らも84年の欧州選手権優勝時から見ると下り調子だったが、両チームの闘いは、まさにフットボールの模範といえた。
 ボールを持てば攻撃を指向し、つなぎ、ドリブルし、フェイントをかけ、ボールを散らし、そして中央へ流し込む。
 秘術を尽くしての攻防は、テレビ観戦していたマラドーナが「この素晴らしい試合が、いつまでも終わることのないように」と願ったというほどだった。1-1のまま延長でも勝負がつかず、PK戦でブラジルは敗退するのだが、この大敵と戦ったフランスも疲れ果てて、準決勝では西ドイツに負けてしまう。
 そしてテレ・サンターナは、代表チームの監督の座を去ったのだった。
 彼のサッカー観は、「ファウルをして勝っても決してうれしくない。私たちはフットボールをしたい」といい、常に攻めること、ゴールを奪うことを第一としている。
 かつてブラジルのサッカーは、守ることより攻めることを重視した。
 しかし1958年に初優勝し、世界タイトルを3度も持つようになると、それ以後の代表チーム監督は、負けることを恐れ、守りに重点を置くようになった。なにしろ代表チームが敗れると、監督の家に石が投げ込まれるほど熱狂的なファンの多い国である。もちろん、負ければ監督は更迭される。それもワールドカップ直前のテストマッチが不成績というだけで・・・。
 そうした傾向に対して、テレ・サンターナは80年に引き継いでからブラジル代表に、かつての光彩を取り戻した。不幸にも優勝はできなかったが、世界のサッカーは再びブラジルを尊敬するようになった。

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