賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >三浦知良 A日本のサッカーを変えた

三浦知良 A日本のサッカーを変えた

 三浦知良「カズ」の出現は、日本のサッカーを劇的に変えた。ボール扱いを楽しむ子どもたちが増え、日本代表の強化につながっていった。

スムーズな左足シュート

 これまで見たカズのプレーの中で最も印象的だったのは、ある代表の試合で見せた左足のシュートだ。左のペナルティーエリアの隅から少し入ったところで放ったそのスイングの美しさ、フォロースルーのところまで今も強烈に覚えている。往年の釜本邦茂が見せていたようにボールに対してきちんと踏み込み、一連の動きがスムーズにできる選手がようやく出てきたと感じた。
 日本サッカー協会は1964年の東京オリンピック終了後、技術の高い選手を育てることを目標に杉山隆一や釜本らを選抜して日本代表チームを編成し、67年から68年にかけては年間100日以上海外を回って技を磨いた。その成果が68年メキシコ五輪での銅メダルだった。
 その快挙からまもなく半世紀。Jリーグ創設という大きな転換点を経験し、最近の日本代表の試合を見ていると、日本の選手がアジアの代表チームに比べて明らかに技術で上回っていることを感じる。Jリーグ創設前は、海外のチームと試合をすると、技術で劣る日本代表が組織と頑張りで勝利を目指していた。今、立場は逆転している。
カズの出現によってボール扱いを楽しむブラジル流が定着した。ブラジルから来日し、日本サッカーリーグでプレーしたセルジオ越後が1974年の引退後、全国を巡回して指導してきた子どもたちがJリーグのピッチに数多く登場した。その一人であるカズは、数多くのプロ選手の中でもトップスターとなって、子どもたちがあこがれる存在となった。

「点を取れ」覚醒したシュート力

 もともとは左サイドのウイングで活躍していたカズが、Jリーグやハンス・オフト率いる日本代表でフォワードとして点を取るようになってきた。ボールをもてあそぶ楽しさから入ってきた選手が、ブラジルから帰国後にセルジオ越後から「点を取れ」と言われたことで目覚め、ドリブルだけでなくシュートを打つようになって点を取ることが増えた。ボールを止めるのはうまいので、ゴール前でミスをせずボールが持てる。シュートに意欲を燃やせば自然と得点が増えてくるのは当然のことだ。
 Jリーグは初年度から2年間、昔ながらの走り回って頑張るチームではなく、技術力のあるチームが連覇したことで、全国の子供たちに大きな影響を与えた。その中で果たしたカズ、ラモスの役割は大きい。しかも、ブラジルで生まれ育ったラモスと違い、カズのように日本で生まれ育った選手が活躍したことがさらにその価値を高めた。
 カズの全盛期を知らない子供たちが増えている中で、今年50歳を迎える今もプロ選手としてピッチに立っている。トップレベルの中で今もプレーできるのは、幼少期からの技術が身についているということだ。
 彼の長所は単にうまいというだけではない。1993年の「ドーハの悲劇」あたりの最盛期から年月が経ち、2001年にヴィッセル神戸へ来てから見せたプレーが今も印象に残っている。右からのクロスに対し、相手の前にスルッと入りこんでヘディングでゴールを決めた。その場面を見ていた私はとても驚いた。実にスマートだった。いつまでも技を磨き、うまくなろうとする気持ちがプレーに表れている。そこがカズのすごいところだ。

年齢重ね、さらにチャレンジ

 年齢こそ重ねてはいるが、若いころからボール扱いがうまかったため緩急が身についている。今、日本代表で輝く浅野拓磨(ドイツ・シュツットガルト)ほど足が速くないので、自分の中で緩急をつけていくことを覚えたのだろう。上手な選手はボールを止めることにいちいち気を使わず、相手との駆け引きだけに頭を使える。上達するのは当然だが、カズには賢さもある。体力は衰えても、少しずつプレーが良くなっていく。
 1995年、イングランドで行われたアンブロカップで、日本代表が初めてイングランドと対戦した。カズは峠を少し越えかけていたが、オープンスペースに出したパスに対しても、一生懸命に走っていた。私はイングランドの足の速いバックスに対してカズをあんなに走らせるなんてと思っていたし、これまでの実績を考えれば「お前、なんというパスを出すんだ」と怒ってもいいくらいなのに。それだけフットボールに対して真面目なのだろう。見た目に華やかで、ついその部分ばかりを見ている人も多いが、サッカーが上手になろうというひたむきさにはいつも感心をしている。だからこそ50歳に届いても、まだチャレンジが出来るという証左だろう。
 私の兄・太郎は70代までボールを蹴っていた。自分が出ないと点が入らないなんて言っていたが、フットボールが好きならば、いくつになってもプレーができる。積み重ねた技術にのめり込むこともある。それを支えたのは常に節制を怠らず、大きなケガをしなかったことだ。どのスポーツでも、毎年のように若くて力のある選手が入団してくる。大きなケガ、特に30歳を越えての大きなケガは、長期間プレーが出来なくなり、自然とパフォーマンスは下がり、契約を更新できなくなる。食生活をはじめ細心の注意を払って、プロの世界を生き抜いてきた。
 ヴェルディでカズが輝くためには、ラモスの存在が欠かせない。ブラジルではDFだったラモスだが、日本に来るとうまい選手なのでFWとしてプレーさせられた。ブラジル人でカズより足が長く体の大きい選手がいたことは、カズ自身にもプラスになったと思う。ラモスも本当にサッカーが好きで、あれだけの実績を持ちながら、どの試合でも手を抜かなかった。試合を見ればそれは分かる。次回はこの2人についても記していきたい。(続く)


(月刊グラン2017年3月号 No.276)

↑ このページの先頭に戻る