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澤穂希@

 澤穂希さんは日本女子サッカー界のペレと思っている。彼女がいたからこそ2011年のFIFA女子ワールドカップの優勝も実現でき、日本だけでなく世界の女子サッカーの歴史の中でも特筆すべき選手だと思う。攻撃はもちろん、一番危険なところにも必ず顔を出す。そのプレーは秀逸だった。引退、結婚を経て、先ごろ子宝にも恵まれた澤さんを取りあげてみたい。

執念のショルダーチャージ

 私と女子サッカーのかかわりといえば、多くの方の協力を得て1970年に社団法人化した神戸フットボールクラブに1976年から女子部をつくったことだろうか。この女子部は後に日本女子サッカーリーグ(現在のなでしこリーグ)に参加するため、田崎真珠さんがスポンサーとなって運営を引き受けてもらった。2009年に田崎真珠は女子サッカーから撤退したが、現在はINAC神戸レオネッサがリーグの強豪として活躍し、2011年から15年までは澤さんがプレーをしてくれた。40年前に神戸で灯した小さな火が今も連綿とつながっていることはとても感慨深い。
 澤さんは東京で少女時代を過ごしてきたので、その時期のプレーを見たことはなかった。最初にじっくりとプレーを見たのは2004年のアテネオリンピック・アジア最終予選、出場権をかけた準決勝の北朝鮮戦だった。東京・国立競技場に3万人を超える観衆を集めた大一番。ひざの痛みを抱えていた澤さんが足を引きずりながら北朝鮮の選手にショルダーチャージをしてボールを奪うなどの活躍を見せ、日本が3−0で勝ってオリンピック出場を果たした。私自身、あの試合を見て女子サッカーのファンになったといってもいい。
 今でこそ大型の選手が増えてきたので目立たなくなったが、澤さんは当時としては体格に恵まれていた。また、2011年ワールドカップの決勝戦で見せた同点ゴールを見ても、ここぞという場面で飛び込んでいく凄まじさに、そう簡単に出てくる選手ではないと感じた。点も取れて、なおかつ攻撃的なゲームも作れ、時には守備でも危険なところを察知して顔を出して止める。オールラウンドプレーヤーと呼ぶにふさわしい。

「お姉さん」に鍛えられた強さ

 日本代表として歴代最多となる205試合83得点という記録を残しているが、点を取るといっても、釜本邦茂のような前残りの選手ではなく、後ろから上がっていく選手。その背景は12歳からプレーしていた読売ベレーザで、本田美登里、高倉麻子、野田朱美といった年齢が上の日本代表選手とともにプレーしていく中で得たものだと思う。フィジカルトレーニングをして強くなったというより、ボールを一生懸命蹴って体が強くなったという感じ。体にボールが慣れていると感じる。
 その強さは、ワールドカップの同点ゴールからも感じる。ヘディングのつもりで飛び込んでいるが、ライナーで中途半端な高さになったのでとっさに飛び上がり、右足の外側に当てて入れている。天性のものというより、子供のころからの練習の積み重ねが生きているのだろう。実際に澤さんに聞いてみると、ドリブルで遊ぶより蹴るほうが好きだと言っている。ボールを蹴ることから入っている。だから、女子選手としては右も左も強い球が蹴れる。体のバランスがいいからだ。
 自分がやったことを声高に言う人ではないが、そのプレーには本当にサッカーが好きだということがにじみ出ている。サッカーがうまくなるためにはまずは自分で練習することだ。止めて蹴るという練習一つでも、試合のことを想定していれば上手になるというごく当たり前のことを子供のころから常に続けられたこと、それが彼女のプレーから自然と伝わってくる。

「なでしこ」開花の中心に

 澤さんがプレーをしてきた四半世紀にわたる女子サッカーの歴史は、そのまま、日本女子サッカーの歩みだった。90年代前半、Jリーグ開幕に伴うサッカーブームにも乗り、Jリーグのクラブが下部組織として整備したり、多くの企業チームが参入して華やかな時期があった。しかし、シドニーオリンピックの予選に敗退したことで一気に冷え切った。澤さん自身も12歳から読売ベレーザでプレーしていたが、そのチームを離れて、単身アメリカに渡った。その決断もすごいことだ。長身の選手が多いなど体格的に厳しいアメリカでプレーしていくうちに、自らの技術を伸ばし、ヘディングのタイミングやボールの落下地点などの予測ができるようになったという。ワールドカップでの同点ゴールでの飛び込みや、INAC神戸が優勝し、澤さんにとって最後の試合となった2015年の皇后杯決勝でのヘディングゴールにも生きていたのだと思う。
 2011年のワールドカップを制し、世界の頂点に立ったメンバーは、澤さんを筆頭に、女子サッカーがもてはやされる前から地道にサッカーを練習して、試合を重ねてきた選手たちだった。そのひたむきな思いがワールドカップだけでなく、ロンドンオリンピックでの銀メダルにも結びついた。
 当時のチームの雰囲気を感じられる一コマとして、ワールドカップ決勝戦のPK戦のことが忘れられない。PK戦に入る前に澤さんが「PK、無理、無理!」と言ったのに対して、ほかの選手が「澤さん、ずるい!」と言っていた。あれこそなでしこの雰囲気、深刻にならず、明るい空気だった。澤さんの性格なのだろうが、格好つけるような言い方でなく、「私はPKは蹴らないよ」とさらりと言ってしまえる。その言葉に対してみんなが笑顔で応えるチーム。その雰囲気を澤さんが作り出していたのだろう。(続く)

(月刊グラン2017年6月号 No.279)

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