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香川真司(上) 「足が震えた」卓越した少年期

 ロシアワールドカップ最終予選終盤の6月13日イラク戦。「背番号10」はいつもの香川真司ではなく、セレッソの後輩・乾貴士だった。7日のシリアとの強化試合で左肩を負傷し代表チームから離脱。香川のいない代表は、少しだけ物足りなさも感じた。「カガワ」つながりということもあり、その成長を見続けてきた私にとって、「シンジ」の活躍ぶりはとても頼もしい。

 実際に真司を見たのは、セレッソに入団してからだ。初対面は2008年、彼が19歳の時にセレッソのモバイルサイト用に行った対談となる。そのとき以来、彼が有名になっていくにつれ、セレッソでも代表でも多くのメディアが取り囲み、なかなか近づくことができない。こっちが手を上げると、目配せをしてくれるのだが。
 昨年、神戸のサッカー協会などで活躍されている藤井さんの紹介で、真司の母親が神戸賀川サッカー文庫を訪ねてくれたことがある。「真司がよろしく言ってました」と言われた。彼を中学時代に見出したセレッソの小菊昭雄君(現トップチームヘッドコーチ)は私が関わってきた神戸FCの出身で、真司はまさに孫のような存在であり、何かと気になっている。
 神戸の西部・垂水区で生まれ、阪神大震災の翌年に地元の小学校に入学した。小学校に入る前からクラブチームの練習に参加し、当時から上手い選手として有名だったという。小学6年の時にリフティング974回を記録していたようにテクニックも並はずれていた。小学校5年生の時からクラブチームの監督から仙台へのサッカー留学を薦められた。仙台でプレーしていた真司を見たのが、当時セレッソのスカウトをしていた小菊君だった。「足が震えました」と当時の印象を語っていたのを覚えている。私がセレッソの試合で初めて見たときに感じたことは、ボールを止めること、運ぶことに関してこんな上手な10代がいるのかという驚きだった。
 1970年代に日本リーグから引退したセルジオ越後が全国を巡回指導するようになり、ボールを扱うというところからサッカーに親しむ子供たちが増えた。ボールタッチのいい子供はやればやるだけ、どんどん伸びる。そういう時代の流れになっていた。セルジオの指導を受けた年代が選手になり、やがて指導者になる。その途上で1993年にJリーグが開幕し、多くのJリーガーが誕生した。香川真司は、日本サッカーの成長期にあって、そのエッセンスを集めたような存在といえる。
 セレッソで頭角を現し、岡田武史監督の時に代表候補に呼ばれ、2008年には平成生まれ初の代表としてキリンカップに参加し、この年の北京五輪にも出場した。北京では「完敗だった」と振り返っていたが、それから2年後にドイツ・ドルトムントへ渡ることになった。だいたい上手くいっているなとは思っていたし、ドイツからイングランドに行ったことで少し苦労しているなとも感じていた。
 真司の特徴は周囲にパスを出すタイミングと、そのパスのうまさ。これは若い時からずば抜けてうまかった。周りが見えていて、出すパスが的確で丁寧だ。本来ドリブルがうまく、昔からの名選手と同じように円弧を描いてキープできるが、試合ではそんなに持ち回らない。体がそれほど強くないからか、相手にぶつかられないように、ほどほどでボールを離す。
 ボールを保持する本田圭佑とはタイプが違う。ボールを持ってからの動きが早く、その次に出すパスの的確さに、サッカーを知っているなと感じる。1人でサッカーができる選手ではない。本田は体の強さがあり、彼は自分がボールを持つことで全体の展開が変わってくることを自覚していた。真司君の場合はチーム全体を見て、いいパスを出して周囲を使うこと、さらにもう一度自分が受けて出すというようにチーム全体としてボールが回ることを早くから理解し、面白がっていた。パスを出した時に「どうだ、見てくれ」というような感じだった。ただ、日本代表に選ばれた時からは点を取ることにも目を向けるようになった。熱心に見始めたときは、セレッソというチームが彼の存在で攻撃が面白いように回り、なおかつ120試合で55得点以上と、自らゴールも奪っている。私が対談のときに、もっと前に出て点にもっとからめばと言ったら「このオッサン、何を言っているのかな」と思っていたのだろうか、それから立て続けにゴールを決めたことがあった。
 体が小さいのに、ここまでの得点力があるのは、常にいいポジションに入りこんでいるということに他ならない。しっかりとペナルティエリアの中に入っていく。止め損なうと仕事にならないが、真司にはそれはない。子供の頃から相手を抜いて入ったり、たまたまスルーパスが裏に出るところに走っていたり。最終的にはボールを受けた時に、DFの選手がいてもかわせるドリブルの力があるので点も取れるのだ。
10代の時は、相手も10代だったので相手のタックルの勢いも弱く点も取りやすかったはずだ。この年代で点を取っているからといって本格的なストライカーになるかというと、そう簡単なことではない。
日本の場合、同年代の中でサッカーをすると、欧米に比べて身体の力が弱く、DF側に回る時のレベルが低い。ボールを持っているほうが強い。サッカーはボールを持っている方が強いのは当たり前だが、少しDFを仕込むと10代後半は守る方は楽な場合が多い。ただ、今の日本は守る方が弱いので、ボールを持っているほうが有利という傾向になる。その流れの中で真司の攻撃は効果があった。そこで培った自信があるからトップチームでもそん色なくプレーができたのだろう。次号以降では彼のプレーについて、もう少し掘り下げていきたい。(次号に続く)

(月刊グラン2017年8月号 No.281)

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