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サッカーメディアあれこれ(上)

 月刊グランが創刊300号を迎えた。Jリーグ開幕後、多くのサポーターズマガジンが創刊されたが、25年間にわたって発行を続けてきたことは本当に喜ばしい。今回は私が寄託した多くの資料を収蔵する神戸賀川サッカー文庫から、大きく発展を遂げたサッカーメディアのあれこれを振り返ってみたい。

月刊グラン300号はJリーグの歴史

 緑豊かな大倉山公園にある神戸市立中央図書館。2014(平成26)年に開設されたこのサッカー文庫には5000冊を超える資料が収蔵されている。月刊グランについては、1995年の阪神大震災で自宅が全壊して取り出せなかった創刊当初の数冊を除き収蔵されている。20年以上にわたり寄稿を続けてきたが、グランの歴史はまさにJリーグの歴史でもある。名古屋を中心とした東海地方で圧倒的なシェアを誇る中日新聞社が、サッカーを何としても盛り上げたいという気持ちからJリーグ開幕の翌1994年にグランを創刊した。大きなメディアであるがゆえに難しいことも多かったと思うが、四半世紀にわたって発行を続けてきたのは素晴らしいことだ。
 私がサッカーのメディアに初めて触れたのは、小学5年生になった1935(昭和10)年くらいだろうか。現在、正月の風物詩になっている全国高校サッカー選手権が、当時は大阪毎日新聞社主催の「全国中等学校サッカー大会」として、甲子園球場などを会場にして開催されていた。神戸に住んでいた私は、兵庫県大会の結果を毎日新聞の県内版で見た記憶がある。全国大会となれば、毎日新聞は大きなスペースを割いて試合の模様を紹介していた。
 サッカー報道については、第1回ワールドカップが行われた1930年年5月に行われた極東大会の模様が新聞紙上で大きく報じられている。当時私は6歳で、新聞を読むことはなかったが、フィリピンに7−2で勝ち、中国と3−3で引き分け、同率ながら初めて極東地区で優勝した大会の記事は、サッカーへの関心を高めたことにつながっている。
 当時の大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会)は、この翌年の1931年に機関誌『蹴球』第1号を創刊した。現在は『JFAニュース』として歴史をつないでいるこの機関誌は、日本サッカーの発展を紹介し続けた貴重な資料として、サッカー文庫にも所蔵、閲覧ができる。

貴重な情報源だった「ニュース映画」

 太平洋戦争をはさみ、戦後、私はスポーツジャーナリストとして活動を始めた。国内外のサッカー情報について当時は新聞での情報が主になっていたが、もう一つの情報源として、映画館で本編の前に上映される「ニュース映画」があった。イングランドのFAカップ決勝のニュースを見るために、映画館に二度三度と通ったこともある。映像で見られることは、今振り返ってもとても貴重な機会だった。
 1960年に創刊したFIFA(国際サッカー連盟)の機関誌を船便などで取り寄せるとともに、書店で国内外のサッカー関連の書籍があれば購入を続けた。日本代表に帯同しアジア大会など海外遠征を取材し、1974年からワールドカップの現地取材を始めた。海外に出かけると書店を訪ね歩き、掘り出し物ともいえる資料を探すことが楽しみだった。
 中でも、私が大事にしてきた「世界に一つしかない」資料がある。1980年の年末から翌81年にかけて、ウルグアイのモンテビデオで行われたコパ・デ・オーロの取材で見つけたものだ。第1回ワールドカップ開催から50年を記念して行われた大会はとても印象的な大会だったが、この資料との出合いはとても強烈に覚えている。モンテビデオの街角にある書店の奥にあった分厚い本は、1930年のワールドカップ優勝に始まるウルグアイサッカーの資料を綴じたものだった。偶然に出会った本を買うかどうか少し迷ったが、おそらく世界に一つしかないという思いが勝った。今でもお気に入りの一冊だ。
 2014年に開設された文庫には、各メディアが出したサッカー関連の書籍、雑誌のほか、私が卒業した神戸一中(現・神戸高校)が戦前に発行したサッカー部50年史の復刻版など、高校や大学をはじめとした記念誌なども収蔵している。資料を寄託した神戸市と、神戸高校、灘高校OBなど多くのボランティアの手によって非常にすばらしいコーナーとなった。ごく一部の資料を除き、手に取って閲覧することができるので、神戸を訪れた際には、ぜひ足を運んでほしい。
次号では日本のサッカー専門誌創刊からを振り返ってみたい。

(月刊グラン2019年3月号 No.300)

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