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日本のゴールキーパー(上)

 川口能活と楢ア正剛。この年末年始、日本のサッカー史に欠かすことのできない2人のゴールキーパー(GK)が相次いで現役を引退した。チームに一つしかないポジション、日本におけるGKの歴史を紐解いてみたい。

【体格のハンディ抱え、高くなかった地位】

 私はGKに対しては人並み以上の思い入れとこだわりがある。今から80年前、神戸一中(現神戸高校)3年生の時に、マネジャーとしてサッカー部に入部した。体が小さかったこともあって選手をやるつもりはなかったが、マネジャーとしての仕事として、サブのGKの練習として毎日キックを蹴っていた。キーパー1人について20本から30本だったか、正面はもちろん、ギリギリで取れる場所、ギリギリ手を伸ばしても取れない場所と1本1本考えながら1日100本以上蹴っていると、自然とシュートのコントロールがついていくものだ。最上級生のFWが足りなくなったこともあり、後輩の岩谷俊夫、鴇田正憲(いずれも後の日本代表)たちが、「フォワードとして試合に出てほしい。僕たちがパスを出すから、あとはゴールへ蹴ってくれたらいい」と言われ、センターフォワードとして当時の明治神宮大会優勝に貢献したのだから、分からないものだ。GKが取れるかどうかギリギリのシュートを打つことが、FWとしての自分の練習になっていることには当時は気が付かなかった。本職のFWを養成するためには、当時のトレーニングは今でも必要だと考えている。
 「日本サッカーの父」と呼ばれたデッドマール・クラマーも、日本代表を指導していた時はGKに対して特別のトレーニングを課していた。「GKが安定していればチームにとってこれほど楽なことはない」という思いがあったからだ。
 日本人は欧米に比べ体格的なハンディがあり、ヨーロッパでは花形ポジションとしてスター扱いされているGKの地位は決して高くはなかった。60年代から70年代にかけて日本代表として活躍し、メキシコ五輪銅メダルにも貢献、後に代表監督も経験した横山謙三も身長は175センチに過ぎなかった。日本においてGKの重要性が認識され、各チームに専門のコーチが導入されたのはJリーグが始まってからといえるだろう。

【川口能活と楢ア正剛。Jが生んだ2人のスター】

 そのGKにJリーグ発足とともに相次いでスターが誕生した。リーグ2年目の1994年、全国高校選手権で優勝した清水商高(現・清水桜が丘高)から鳴り物入りで横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入したのが川口能活、翌1995年には、選手権でベスト4に躍進した奈良育英高校から楢ア正剛が横浜フリューゲルスに加入した。この2人がライバルとなって日本代表のゴールマウスを10年以上争ったというのも不思議な縁を感じる。
 2人はタイプこそ違うが、10代からJリーグのレギュラーポジションを獲得して、日本のGKの新時代を切り開いた。
川口は身長180センチ。現代サッカーのGKとしては身体的に恵まれてはいなかったが、そのハンディをカバーする思い切りのいい飛び出しなどで、早くから信頼を得た。マリノスでは「ドーハの悲劇」など90年代前半の日本代表として君臨した松永成立に代わり、加入2年目からレギュラーポジションをつかんだ。GKとして初めて海外に挑戦、その後もジュビロ磐田、FC岐阜、SC相模原とJ1からJ3の全ディビジョンを経験、43歳まで現役でプレーを続けた。
 川口の1年後輩となる楢アは187センチという当時としては恵まれた体格を生かした安定感あるプレーで、正GKが出場停止になるという幸運にも恵まれ1年目の途中からポジションを獲得した。フリューゲルスの吸収合併という不幸な出来事もあったが、移籍した名古屋グランパスで20年間プレー。2010年にリーグ優勝に導いた時には、GKとして唯一のリーグMVPにも輝いた。Jリーグ660試合出場(J1、J2通算)はリーグ最多。記憶にも記録にも残る存在だ。

【代表のゴールマウス10年以上争う】

 2人は日本代表における、唯一無二のライバルとしてしのぎを削った。1996年のアトランタ五輪で川口が「マイアミの奇跡」と伝えられるブラジル戦での完封勝利に貢献、ともに初めて選出された1998年のフランスワールドカップでは川口がゴールマウスを守った。しかし、2000年のシドニーオリンピックでは楢アが出場し、2002年日韓ワールドカップでは初のグループステージ進出に貢献。2006年ドイツ大会は川口が出場、2010年南アフリカ大会は2人で後輩の川島永嗣を支えた。2人の国際Aマッチ出場試合は193試合(川口116、楢ア77)。これだけの長い期間争い続けたことは、日本サッカーの歴史でも特筆すべきことだ。

 Jリーグ開幕から四半世紀を過ぎ、川口、楢アが同時にピッチを去った。3月17日のJ1リーグ9試合、18チームでスタメンに名を連ねた外国籍GKは6人。コンサドーレ札幌−鹿島アントラーズ戦では韓国籍GKの対決になった。世界的に190センチ台のFWが並び始めた現代サッカーで、川口、楢ア、そして川島に続く日本代表GKの育成は、世界で戦う上で日本サッカー界における大事な仕事となっている。次号では海外の名GKなどの思い出などを振り返りながら、さらに書き綴っていきたい。(この項続く)

(月刊グラン2019年5月号 No.302)

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