賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >指導者とは(下)

指導者とは(下)

 指導者、中でもチームを率いる監督の役割は、様々なものが細分化された現代サッカーにおいても洋の東西を問わずに非常に大きなものがある。中でも選手との強固な信頼関係は、チームの命運を左右するものだ。

天才マラドーナをつかんだ名将ビラルド

 ワールドカップをはじめ数多くの国際大会を通じて諸外国の多くの監督を見てきたが、その中でも印象深かったのが1983年から90年までアルゼンチン代表を率いたカルロス・ビラルド監督だ。
 彼の就任期間は、天才ディエゴ・マラドーナの全盛期。当時、アルゼンチンはおろか、世界を見渡しても、マラドーナのボールさばきはずば抜けていて、他の有名選手が何も言えない存在だった。上手い選手は自分よりも徹底的に上手い選手に対して頭が上がらないもの。その差がどれだけ大きいかは、われわれには分からなくても、選手自身が一番よく分かっている。
 1987年1月27日。第7回ゼロックス・スーパーサッカーとして、東京・国立競技場で南米選抜と日本サッカーリーグ選抜の対戦が実現した。私も試合を企画した一人だが、ユニセフへの基金を目的としたゲームで、南米選抜はマラドーナを中心に86年メキシコワールドカップでブラジル代表主将を務めたDFエジーニョ、パラグアイからGKフェルナンデス、DFトラジェスらが名を連ねた。地球の裏側からの長旅と時差のため、選手たちは練習や試合であくびを連発するような状態。中でもマラドーナは直前のイタリアリーグで負傷し、ベストコンディションとは程遠い状態だった。それでもメキシコワールドカップで世界の頂点を極めた26歳は、この試合の目玉だった。
 その存在感は見ていてとても興味深く、面白かった。練習をはじめ、どのような集合場所でもマラドーナは一番最後にやってくる。ブラジル代表キャプテン、エジーニョですら、年下でありながら選手の格が違うマラドーナが来るまでおとなしく待っている。「マラドーナ遅いぞ」などとは誰も言わない、それが当たり前という雰囲気を常に漂わせていた。マラドーナの上手さに対して、他の選手は一目も二目も、三目も置いていた。だから、マラドーナのペースでやっても何とも思わない。日本の選手なら、必ず誰かが「上手いのは分かるが、遅れてくるのはけしからん」とでも言っていただろう。
 しかし、アルゼンチンの代表監督で、この試合の南米選抜を率いたビラルド監督はマラドーナの心をしっかりとつかんでいた。足の状態が悪く、試合に出られるかどうかは微妙だったが、ビラルドは「君は日本に来た以上、どんな故障があっても試合には出なければいけない。たとえ、足の調子が悪く20分しか出られなければ、20分はピッチに立たなければいけない。それがマラドーナの仕事だ。マラドーナは世界中に対して責任がある」と説いた。まだ20代のマラドーナ、機嫌が悪ければプイッと横を向いてしまう可能性もある。それに対してビラルド監督は「お前は世界のマラドーナだ」と最後まで言い続ける。そういうことをはっきり言える人間でなければマラドーナをつかめない。必ず掌握しなければという選手をハートとハートでつかむのも監督の技量。マラドーナもそういうビラルドを信頼していた。私たち主催者側もすべてビラルドを通じてマラドーナにリクエストを続けた。その努力が報われ、無事に試合を終えることができた。マラドーナが信頼を寄せる指導者の下でないと、マラドーナは輝けないと改めて感じた。
 監督はつらい面も多いが、一度やったらやめられない憧れの仕事でもある。また、同様に、代表チームでもクラブチームでも、監督を見極め、起用した責任者は、チームが輝くために自分の生命にかかわるくらいの責任を負うことにもなる。

広島の伝統を体感した森保代表監督に寄せる期待

 最後に日本代表を率いる森保一監督について記したい。
森保監督の出身は長崎県だが、高校卒業後、広島県を拠点とする日本リーグのマツダ(旧名・東洋工業、後のサンフレッチェ広島)でプレーしていた。広島は兵庫や東京と並び戦前からサッカーが盛んな地域だった、戦禍を経て1960年代から東洋工業は西日本を代表する強豪実業団チームとなっていた。釜本邦茂が加入したヤンマーにその座を奪われることもあったが、小城得達など広島県出身の選手を中心に地域のチームとして伝統を築き上げてきた。
 80年代後半、プロ化移行を前に、東洋工業、マツダと受け継いだ伝統を糧に良質な選手を今西和男GM(後にFC岐阜社長)が獲得。Jリーグではサンフレッチェ広島として参入し、94年にはステージ優勝も経験している。その当時の主力メンバーは現在、森保監督をはじめ、森山佳郎U−17日本代表監督、風間八宏名古屋グランパス前監督、片野坂知宏大分トリニータ監督、高木琢也大宮アルディージャ監督など、各カテゴリーで指導者として活躍しているのを見ても、その見極めの良さが際立つ。
 関東や関西に対抗し、地方のチームではありながら常勝を求められてきた伝統あるチームで経験を重ねた森保監督。日本代表監督は、本番であるワールドカップ予選には勝たなければいけないが、練習試合のような試合も数多く組まれており、その都度選手を選考して試合をすることが先決だ。しかし、そのような練習試合であっても従来よりも勝ち負けにこだわった監督になると考えている。現地で出場機会の限られている海外組も多く、難しいかじ取りも求められるが、常に負けたくないという気構えの日本代表をつくり上げてほしいと期待している。

(月刊グラン2020年1月号 No.310)

↑ このページの先頭に戻る