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特別編 スポーツイベントの中止に寄せて

 世界全体を襲う新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、分散開催で予定された全国高校総体(インターハイ)に続き、甲子園球場で行われる「夏の風物詩」全国高校野球選手権大会も中止に追い込まれた。
 その時々の社会情勢、事件などによって、スポーツ界は大きな影響を受ける歴史を繰り返してきた。1941(昭和16)年、私が旧制神戸一中5年生の時に、当時夏に行われていたサッカーの全国中等学校選手権(現・全国高校選手権)や夏の高校野球など全国的なスポーツイベントが相次いで中止された。米国との開戦はこの年の12月だったが、この時すでにヒットラー率いナチスドイツが前年のフランスに続きロシアへの侵攻を開始、ソ連軍の極東兵力牽制のため、ロシアに近い満州国(中国東北部)に駐留していた関東軍が特別演習を行うことになった。このため、大量の兵力や軍事物資を輸送する鉄道需要が高まり、不要不急の旅行が一切できなくなり、全国からの移動を伴うスポーツイベントが中止に追い込まれた。中止された理由が戦局の悪化とひとくくりにされているが、直接的な原因としては移動制限と輸送力の問題が大きかった。
 大差の試合を勝ち進んで兵庫県予選を制し、全国大会優勝を目論んでいた私たちにとって、目標の大会が消えたことのショックは大きく、「選手権があれば」と悔やんだこともあった。だが、幸いなことに秋の明治神宮(国民体育)大会は行われた。厚生省(当時)主催の国民体育大会には軍も手を付けられなかった。
 9月から行われた明治神宮大会の予選でも兵庫県、近畿予選を勝ち進んで本大会出場を決めた。10月末から11月にかけて行われる大会のため、兵庫県選手団の一員として、野球競技に出場した旧制滝川中学の別所昭(毅彦、のちに巨人などで活躍)と同じ列車で東京に向かったことを今でも覚えている。神戸一中は決勝でソウル・普成中学と2−2で引き分け、両校優勝を飾った。
 あれから79年。感染症という見えない敵の影響でインターハイや高校野球などが相次いで中止になるとは想像もしなかった。今も昔も一番影響を受けるのは選手だ。高校3年生にとっては大会でいい結果を残すために長い時間努力してきたのだからショックは大きく、私の経験を振り返ってみてもしばらく放心状態になるだろう。しかし、その競技が好きで、目標を掲げて取り組んできた自分のため、学校や後輩のためにも、これで終わったと思ってほしくない。次へとつなげていくことが大事だ。今は辛いとは思うが、得難い経験だと思って前を向いて立ち向かい、乗り越えてほしい。また、彼らを指導する大人たちもこの情勢だから仕方がないとか、周囲の流れにのみ込まれずに子どもたちに寄り添って励ましてほしい。このような一つ一つの動きが、スポーツのさらなる未来、隆盛につながると信じている。

(月刊グラン2020年7月号 No.316)

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