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追悼・マラドーナ(後編)

 「不世出の天才」ディエゴ・マラドーナの訃報(現地時間11月25日)を受け、OB、現役を問わず多くのサッカー関係者、各界の著名人が追悼のコメントを発表した。サッカーを知らなくても、マラドーナの名前を知っているという人も多いはず。それだけ多くの人から愛される存在だった。
 そのスター性は、全盛期におけるテレビ中継の発達とは切り離せない。日本では1978年からワールドカップの放映権を獲得したNHKが86年メキシコ大会で総合テレビなどを使い17試合を中継した。その中には「5人抜き」「神の手」で長く語り継がれる準々決勝イングランド戦も含まれる。当時、ワールドカップ出場経験のない日本のサッカーファンにも、ピッチを支配するマラドーナの姿は強く印象付けられた。
 その絶頂期のマラドーナを日本に招聘することになったのは翌1987年1月のことだ。当時、私はスポーツイベントなどを手がける「サンスポ企画」の社長として、東京・国立競技場で開催されたゼロックススーパーサッカー「南米選抜VS日本サッカーリーグ選抜」の試合に携わった。ブラジル、パラグアイ、そしてアルゼンチンからスター選手を集めたチームとともに、私も約1週間、同じホテルに滞在した。
 チームの目玉はもちろんマラドーナ。ただ、直前のイタリアリーグで負傷したため、試合出場すら危ぶまれるコンディションでの来日だったが、その存在感は抜きんでていた。ブラジル代表のキャプテンで年上のエジーニョもいるのに、練習場に向かうバスにはマラドーナが一番最後に乗り込んでくる。「やあ、やあ」と何事もなかったようにみんなと握手をするが、マラドーナのうまさが分かっている他の選手からは何の文句も出ない。まさにカリスマと呼ぶべき存在。練習ではボールの方が彼になついているようにも見え、試合では、彼の心を掌握していた名将・ビラルド監督のもと、日本のファンにプレーを見せてくれた。その姿は人を引き付ける魅力にあふれていた。
 自由奔放でやんちゃな面がクローズアップされ、1994年ワールドカップではドーピング検査で陽性となり、大会途中で追放されるなど、晩年はメディアを騒がせ続けた。それでも、抜群の個人技、別格の存在感で世界中にサッカーの面白さを発信し続けた。全盛期がJリーグ誕生前ということもあり、マラドーナの影響を受けてサッカーを始めたという日本人も少なからずいただろう。
 1979年ワールドユースでインタビューをしてから約40年。同じ時代にサッカーに携われたことに感謝し、今はその冥福を祈りたい。

(月刊グラン2021年2月号 No.323)

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