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「ACL」から見えるアジアの未来(前編)

 名古屋グランパスが2012年以来9年ぶりに出場するACL(AFCチャンピオンズリーグ)が4月から始まる。昨年はコロナ禍のためグループリーグ途中で中断、東地区は残る日程をカタールで集中開催し、先に西地区を勝ち上がったイランのペルセポリスを破った蔚山現代が優勝、2月のクラブワールドカップに出場した。
 アジアのクラブチャンピオンを決め、世界のトップ争いに加わりたいという思いはAFC(アジアサッカー連盟)の悲願であり、1967年にアジアチャンピオンクラブズトーナメントを開始、71年に一度中断したが85年からアジアクラブ選手権として再スタートを切った。90年からはカップウイナーズカップ(日本は天皇杯優勝チームなどが参加)、95年にはクラブ選手権とカップウイナーズカップの優勝チームによるアジアスーパーカップと次々と大会が始まったが、2003年、3大会を統合する形でACLがスタートした。
 日本勢は日本サッカーリーグ時代の1987年に古河電工(ジェフユナイテッド市原・千葉の前身)、翌88年に読売クラブ(東京ヴェルディの前身)が連続優勝したが、その後は韓国勢、中東勢の優勝が続き、Jリーグ創設後の99年にジュビロ磐田が優勝するまで空白が続いた。ACLでも最初の4年間はグループステージ敗退が続いたが、2007年に浦和レッズ、翌08年にはガンバ大阪が相次いで優勝、17年の浦和、翌18年の鹿島が続いた。ただ、前年のJ1優勝チームが一度も優勝していないのは不思議だ。
 1964年東京オリンピックの代表強化にデッドマール・クラマーを招くなど長くヨーロッパのサッカーを追いかけてきた日本だが、Jリーグ創設以前はライバル・韓国との激しい戦いに敗れ、ワールドカップの出場権を逃し続けていた。クラブレベルにおいても韓国の壁は厚く、アジアクラブ選手権時代からの優勝回数を見ると韓国勢の12回に対し、日本勢は7回。日本に対して激しい対抗意識を燃やす韓国をはじめ、各国が高い関心を持つアジアの戦いを乗り越えなければ、世界のトップクラスは見えない。
 アジアは広く、オイルマネーで代表もクラブも強化できる西アジア勢は、アフリカなどから身体能力が高い選手を帰化させ、ヨーロッパや南米、最近では日本からも移籍で獲得している。東南アジアはヨーロッパの植民地時代が長く、太平洋をはさみ米国から伝わった野球が国民的スポーツになった日本とは比べものにならないほどサッカー熱が高い。  そして忘れてならないのは、世界の大国として地位を築く中国の存在だ。サッカー界でも大国を目指すアジアの巨人については次号で書きたい。

(月刊グラン2021年4月号 No.325)

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