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1964年東京オリンピック「アルゼンチンに逆転勝利」

 日本の第1戦は10月14日の対アルゼンチン。3チーム・リーグのD組では、すでに12日にアルゼンチンとガーナが1-1で引分けていた。

 当日は朝から細い雨が降ったが駒沢競技場は有料入場者1万9049人で満員。ユーゴのスコリッチ主審の笛で始まり、まず前半24分にアルゼンチンが1ゴールをあげた。

 記者席から見たところでは、日本の動きは悪くなかった。チャンスにやや焦ったのと、相手のドミンゲスのフットワーク、いわゆる個人技にやられたという感じ、ともかく同点にすれば―――との期待が高まった。

 待望の同点ゴールは後半の9分に生まれた。八重樫のキープから左サイドの杉山がDFの裏へ入ってパスを受け、ドリブルシュートした。相手DFの追走を振り切った駿足、杉山にスタンドは沸く。だが8分後アルゼンチンの2点目、こんどはドリブルの突破でなく、日本DF陣の小さなミスからボールを取り、シュートを横山がはじくと、そのリバウンドをドミンゲスがヘッドした。

 リードされても日本の勢いは衰えない。36分に、左前へ走った釜本がクロスを送り、右の川渕がダイビング・ヘッドで再び同点、2-2。

 このゴールでアルゼンチンの選手たちはガクンとなったのがスタンドからも見えた。たたみかけて日本が3点目を奪う。左からのセンタリングを川渕がプッシュし、GKセハスがパンチして逃げたのを、いい位置につめていた小城が落ち着いたダイレクトシュートで決めた。

 それからタイムアップまでの7〜8分の長かったこと。アルゼンチンには回復する力はないと頭で思ってもタイムアップの笛までは、安心できなかった。

 アルゼンチンは、後に、W杯にも出場したペルフーモ(当時22歳)らもいて、ボール扱いはさすがに上手だったが、チームワークも気迫も体力も日本が上だった。

 "南米の強豪アルゼンチンに勝つ" "ベルリンの奇跡再び" "28年ぶり、日本サッカーの勝利" ―――

 新聞は"予想外"の勝ちを大きく報じてくれた。1964年10月14日は、私たちにとって忘れることのできない日となった。

日本3-2(0-1)アルゼンチン

メンバー

日本:横山、片山、山口、八重樫、鎌田、鈴木、川淵、釜本、小城、宮本(輝)、杉山
アルゼンチン:セハス、ベルトロッチ、セサノ、モラレス、モソ、ペルフーモ、カプレラ、リッソ、ドミンゲス、マンフレディ、オチュア

得点(日本)54分杉山、81分川淵、82分小城、(アルゼンチン)24分ドミンゲス、62分ドミンゲス


(ジェイレブ SEP.1993)

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