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アーセナルとの激闘と釜本のシュートに沸いた1968年5月

 1968年5月23日から29日までの一週間、イングランドの名門プロ、アーセナルを迎えて行なわれた日本代表との3試合は、この年10月のメキシコ五輪をめざす代表チームにとって貴重な経験となっただけでなく、エキサイティングなゲームとストライカー釜本の成長を告げるシュートは10万人観戦者への大きなプレゼントとなった。

 キックオフ後、15秒で生まれたゴールに観衆は唖然とし、やがてどよめいた。

 ロンドンからの長い旅の後の第1戦、普通なら相手の出方をうかがい、しばらくは、さぐり合いの時間が続くハズだったが、アーセナルはそうではなかった。

 日本のキックオフで始まり、釜本から八重樫、そして後方の小城へボールが戻されたとき、10番のゴールドが飛び込むように奪い、その勢いで彼は一気にペナルティエリアまで突進した。その速さに驚く私たちの目には鎌田がタックルするのが映る。だが、いったん潰しながら、ボールを蹴り出せないうちに、ゴールドが取り返した。右後方からフォローするラドフォードにバックパスをして、彼は右へ開く。すると、そこへラドフォードから短いリターンパスが送られた。

 ゴール前20メートル、ゴールドのシュートは"矢のように"という形容そのまま一本の線となってゴール右に突き刺さった。

 さすがはアーセナル、音に聞くイングランドのサッカーはこれか―――。

 1863年にFA(フットボールアソシエーション)を設立し、それまで各学校やクラブでバラバラだったルールを統一してサッカーの競技スポーツとしての始祖となったイングランドが、100年後の1966年にW杯を開催し初優勝してから2年。自信を取り戻した"本家"の勢いがそのまま表れたゴール。私たちには大先輩の田辺五兵衛さん(故人)らのイングランド通から聞かされてきた「直截簡明」「ボールを取ればひたすらゴールをめざす」イングランドのサッカーにガツンと頭をなぐられた思いがした。

 たのもしかったのは一発食った日本代表が臆することなく攻め返したこと。スタンドの十数本の日の丸と、選手を励ます喚声が力づけたのかもしれないし、あるいは、正直なところ、あまりの早い失点に驚いたり、気遅れしている間もなかったのかもしれない。

 スタンドの喚声が最高潮となったのは、8分に渡辺からの速いクロスが右からゴール前へ飛んだとき。釜本が相手2人のDFと同時にジャンプした一瞬の後、ボールはネットに入っていた。

 右サイドで渡辺、八重樫のパスの交換から、深い位置へ出した八重樫からのパスを渡辺が俊足を飛ばして追いついたときには、アーセナルのDFは、だれも渡辺を妨害には行けなかった。そのかわり、中央の釜本にはCFBのネイールともう一人がはさむようにマークしていた。

 渡辺からのボールは、そのDFの後方、ゴール寄りへ送られたが、これを釜本がニアサイド、ゴールエリア内右寄りで、前方へ飛びこむようにジャンプヘッドし、GKウイルソンを抜いたのだった。

 得点は1-1。いきなり始まった壮烈なゴールの応酬に国立競技場は、その後喚声が途切れることはなかった。

 日本代表といってもアマチュア。その相手から同点に追いつかれて、アーセナルのイレブンの動きはさらに激しくなり、容赦のない中盤でのプレッシャーと休むことのない攻撃指向は次第に日本を追いこみ、36分にゴールドのヘディングシュートで2-1。41分に左CKから日本にハンドの反則があってPKで3-1と得点差は開いた。

 力の差は得点差以上に見えたが、代表の健闘と最後まで手を緩めないアーセナルの動きは後半も続いて、国立競技場につめかけた38,439人の有料入場者には、サッカーに酔った90分となった。


(ジェイレブ FEB.1994)

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