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1968年メキシコ・オリンピック「地元さえも味方にし、銅メダルを獲得」

 準々決勝は10月20日、会場はアステカで行なわれることになった。

 フランスはA組の第1戦でギニアを3-1、ついでメキシコを4-1で破ってベスト8を決め、第3戦はコロンビアに1-2で敗れた。フランスにとっての"勝たなければいけない"第1戦を日本チームは全員プエブラのスタンドから見ることができたし、第2戦はテレビ観戦していた。これで日本はフランスの特徴をつかみ、まず4FBが仕掛けるオフサイドトラップの浅いラインをいかに破るかということと、黒人のFWの個人技を防ぐことが課題と見た。

 前半はDFをゆさぶるパスのタイミングが遅れてオフサイドが多かった。しかし、宮本征勝からの長いパスを右サイドで釜本が受けてドリブルで突破し、ニアサイドに強烈なシュートを決めた。フランスも1点を返して前半は1-1。後半14分に杉山が左タッチぞいのドリブルから中央の釜本へ見事なパスを通し、釜本が胸に当てて落としてシュートを決める。11分後にはFKから宮本輝紀→小城と渡して小城が右へクロスパス、釜本がこれを折り返すところへ渡辺が入ってきて正面から左へシュートを決めた。これで3-1。日本はサッカー大国のフランスを破り、ベスト4に入ったのだった。

 準決勝は2日後、優勝候補のハンガリーとアステカで対戦。第二次大戦後、ヘルシンキ大会からのオリンピック・サッカーの上位は東欧社会主義国のステートアマで占められている。W杯に比べるとアマチュアのオリンピックはレベルが低いというのは常識だが、東欧圏のチームにはそれはあたらない。日本は前半に2度チャンスがあったが得点できず、時間の経過とともに力の差が表れ、2つのPKによる失点を含めて0-5で敗れてしまった。

 大差の敗戦のショックは、10月24日の3位決定戦という目標に切り替わった。スタンドの大声援を受けたメキシコがややボール支配の多い前半だったが、日本は厚い守備網で守り、17分には釜本が先制した。杉山からのパスを胸で受けて左足でのシュートだった。39分にも釜本のシュートで2点目、今度も杉山からの見事なパスだった。

 後半はメキシコが圧倒した。そしてPK。しかしGK横山がファインプレーで防いだ。攻めながら得点できない地元チームに観衆はイライラし、ついに「ハポン、ハポン」と日本に声援を送るようになる。個人技、特にドリブルのうまいメキシコの攻撃は何度も繰り返されたが、DF、MF一丸の日本の守りは崩れそうで最後まで崩れなかった。メキシコ人をも味方にした日本のクリーンな試合ぶりにフェアプレー賞が贈られ、7ゴールの釜本は得点王となった。

 東京五輪の4年前から指導してきたクラマー・コーチは「このようなチームを持てたことを誇りに思う。このチームのすばらしさは試合に出なかった選手も一丸となって、ともに喜び、苦労してきたところにある」と語った。


(ジェイレブ APR.1994)

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