賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >1938年フランスW杯「ブラジルの評価高まる」

1938年フランスW杯「ブラジルの評価高まる」

 1925年にサンパウロFCとACパウリスターノの2つのクラブが欧州へ遠征した。1924年、ウルグアイのパリ・オリンピック優勝で南米の技巧に驚かされたヨーロッパは、ブラジルのプレーヤーたちの個人技に目を見張ったが、その評価が固まるのは1938年の第3回ワールドカップ。フランスで開催されたこの大会は、ブラジルにとっても3回目の参加。
 第1回の1930年(ウルグアイ)は、個人技こそ高かったが、欧州の戦術に対する経験が乏しく、ボリビアには勝ったがユーゴに敗れて1次リーグ敗退。イタリアでの第2回大会(1934年)もKOシステム1回戦でスペインに敗れてしまった。長い遠征と欧州での初戦というプレッシャーで、彼らは神経質になり、名手ブリトがPKを失敗するという不運もあった。ブリトは後にあのペレを発見して黄金期への布石を打つのだが、1934年の代表チームは1試合だけで大会から去った。
 4年後、フランスW杯でのブラジル代表は1回戦(対ポーランド)を6-5という高得点ゲームで勝ち上がり、2回戦ではチェコと1-1の引き分け。ボルドーでのこの試合は、チェコの2人が骨折するという激しさで「バトル・オブ・ボルドー」(ボルドーの戦争)とまでいわれた。再試合には両チーム合わせて15人の新顔が出場し、力の揃ったブラジルが2-1で勝った。
 準決勝は前回チャンピオンのイタリアが相手。名将メアッツァの率いるこのチームに対して、レオニーダスとティムという2人の主力を欠いたブラジルは1-2で敗れた。3位決定戦ではスウェーデンを4-2で倒し、初めて世界の舞台で上位を占めたのである。 
 CFのレオニーダスは、大会の得点王(7点)。そのドリブル、身のこなし、シュート力は“黒い魔術師”といわれた。

↑ このページの先頭に戻る