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ブラジルの至宝"キング・ペレ"の来日

 ナマのペレを日本で見られるぞ!! 昭和47年(1972年)5月26日夜の国立競技場は、期待にムネをふくらませたファンでぎっしり埋まり、試合前に花火があがり、旗が振られボルテージは上がりっ放しだった。

 1968年のメキシコ五輪で3位入賞、銅メダルという輝かしい成績をおさめた日本サッカー界は、次の年に釜本邦茂の肝臓病のため、上昇機運をいささかそがれた形となったが、少年層への浸透は進み、また1970年メキシコW杯のテレビ放映などもあって、海外のサッカーにも目を向けはじめていた。

 その70年W杯で三度目の優勝を遂げたブラジルの至宝"キング・ペレ"がやってきたのだった。

 1958年スウェーデンW杯で17歳という若さでデビューしたペレは、一躍スターとなっただけでなく、ブラジルに初めて優勝をもたらした"神の子"となった。

 62、66、70年と合わせ4回のW杯に出場して3回の優勝。サントスFCを率いてのリベルタドーレス杯(南米クラブ選手権)とワールド・クラブ・カップ(現トヨタカップ)の2年連続優勝(62、63年)、1000を超えるゴール。といった栄誉と記録だけでなく、サッカーの芸術性を世に示し、世界中の人の心をとらえていた。

 若く、スリムだった17歳のW杯決勝で、ボールを二度浮かせて二人のスウェーデンDFを次々にかわして決めたシュート、70年W杯、対イングランドの唯一のゴールとなったジャイルジーニョへの絶妙のパス―――。12年間に数々の名場面を残して、71年に代表から去った彼は、サントスでプレーを続けていたが、世界中から「ペレを見たい」という声は高く、日本でも、サントス来日の噂は何度か流れては消えていた。

 それがいよいよ実現した。

 高まった期待と興奮は、ペレとサントスの選手が入場し、日の丸を掲げて場内を一周しようとしたときに爆発した。スタンドから飛び降りた若者たちが、次々にイレブンに殺到した。役員やサントスの選手の抑止を振り切り、ペレのユニフォームをもぎ取ろうとする者さえあって、ペレはいったん更衣室に戻って、ユニフォームを取り替え、沈静化を待ったほどだった。


(ジェイレブ DEC.1994)

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