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ペレの妙技に酔い、感動にふるえた国立競技場

 ゲームが始まると、サントスFCは中盤からの鋭いプレスで日本側を苦しめ、ボールを支配して素早い攻めをみせる。その速い展開のなかでペレは、密着マークの山口(日立)をすぐそばにつけたまま、もっぱら味方へのパスを供給する。短く、ときには一人おいてのパスは、その方向、強さに「うーん」と感嘆させるものはあるが、全体として動きは小さい。一度、ドリブルでタテに走ったが、白いユニフォームがフィールドを駆け抜けるさまはまさに電光だった。ジャディールのドリブルシュートでサントスが1-0として前半は終わった。

 いささか静かだった前半だったが後半にペレのドラマが待っていた。

 後半に入ると、ペレは、前半の下がり目の位置から、少し前へ出はじめた。日本も、はじめペレの威圧感とサントスの速い潰しにとまどったのが、次第に落ち着き、ボールがまわって、シュートも出はじめる。

 ようやく、攻めて攻められる、ボールがゴールからゴールへ動く、サッカーらしい様相になってきた。

 ペレを追っていた私の双眼鏡から、少しずつ彼の気持ちの高揚が読みとれた。

 29分、後方からのパスを受けて、ボールを浮かせて自分の背後に落とし、くるりと回りこんでバウンドしたボールを右足でとらえてシュートした。記者席から見て、いささか照明の暗い当時の国立競技場では、ターンしたあとの白い背中の動きは一瞬のことに見えた。あとで分解写真で見たボレーでとらえるときのフォームの美しさに思わず、うなってしまったが―――。

 ユメにまで見たペレのゴールに場内の大歓声、そしてそのあとのざわめきが消えないうちに、2分後、ペレの2点目、サントスの3点目が生まれる。

 やはり後方からのボール、浮かせて背後へ、今度は後ろ向きのペレには右手側、1点目とは逆サイドへ出た。胸で止めたボールを浮かせて山口をはずし、内側から奪おうとする小城(東洋工業)の前を頭でボールを前へ押し出してすり抜け、そのボールの落ちぎわを左足のボレーで叩いた。ボールはニアポストぎりぎり、GK船本(東洋工業)の手をかすめて飛びこんだ。シュートそのもの(右も左も)のすばらしさと、そのシュートへもってゆくうまさに私は声も出なかった。

 試合のあとの記者会見でペレは「自分の生涯でも最もすばらしいゴールのひとつだった」と語ったが、その会見室の外側にはペレをもう一目見ようと若者たちが集まっていた。

 彼らは、「ペレ、ペレ」を連呼し、なかには涙を流す者もいた。ある音楽プロモーションの社長は「サッカーがこれほど感動的とは初めて知った」と深い感銘を受けていた。彼をはじめ多くのプロモーションやエージェントが、海外チームを招くサッカーイベントに積極的になるのはこのとき以来だったと思う。

 国立競技場は久しぶりに満員、ポスターは完売、翌日の私のスポーツ紙も駅売店で売り切れた。

 しかし、私にとって何よりの収穫は、ペレの本質がストライカーであることを改めて見たこと、最初のシュートチャンスがダメなら次に、それが妨害されればその次にと、三つ目の段階までもってゆけるという他に例をみないストライカーであることを確認したことだった。釜本といういいストライカーが育つのに立ち合った私は、70年にエウゼビオを目の当たりにし、いままたペレを見つめるチャンスを得た。大げさでなく、いい時期に生きていた―――と思ったものだ。


(ジェイレブ DEC.1994)

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