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1990年イタリアW杯「“ライオン”とアフリカ女性の美しさ」
1990年6月8日、ミラノのサン・シーロ・スタジアムでの90イタリア・ワールドカップ開会式で、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの四つの大陸を、色とスタイルで表現し、モデルが行進するショーがあった。ミラ・ショーン、ジャン・フランコ・フェレ、バレンチノ、ミッソーニがそれぞれ大陸を担当し、イタリア・ファッションの粋をみせたが、私はそのデザインの美しさより、モデルとして登場した黒人女性の美しさに感嘆した。スラリと伸びた手足、大きな瞳、黒色、褐色の光沢を帯びた肌はまことに現代風で、新装のスタジアムにもマッチしていた。
アフリカ系女性の美しさを印象づけたショーに続く開幕試合で、前回チャンピオン、マラドーナのアルゼンチンを破ったのが、アフリカの“不屈のライオン”カメルーン代表だった。
このゲームでは、まずカメルーンの素晴らしい守り、DFの競り合いの強さとGKヌコノの定評どおりのうまさに目を見張った。
ヌコノは1982年スペイン・ワールドカップにカメルーンが初めて登場したときのGKで、当時26歳だが、すでに64試合の代表経験を持ち、1979年のアフリカ最優秀選手賞を受けていた。スペイン大会の1次リーグでポーランド、ペルーと0―0、イタリアと1―1で引分けたのは、ヌコノの働きが大きく、この年二度目のアフリカ最優秀選手となっている。スペインのRCDエスパニョールに所属し、87―88シーズンのUEFAカップでの活躍により、ヨーロッパではすでに評価の高いゴールキーパーだ。このポジションでは30歳を越えての第一級も珍しくないが、35歳でなおアクロバチックなプレーができる。読みのよさに加えて、しなやかな身体は、逆をつかれたときの反応も素晴らしかった。
大会では見られなかったが、フランス人の記者によるとカメルーンには、ヌコノと同年輩のJ・A・ベルという名GKがいて、フランスのボルドーで働いているし、また、彼らよりも若いJ・ソンゴーやA・ボウエといった才能の持ち主がいるそうだ。アフリカ人のスポーツ資質の第一は身体のバネだから、カメルーン人はGKのタレントの宝庫なのかもしれない。
それはともかく、アルゼンチンの攻めを、まずマラドーナへのマークを厳しくしてその中軸を押さえ、他の相手には一人ひとりの競り合いの強さで対抗した。トップにオマン・ビイク一人を置き、4―5―1の布陣でしっかり守ってからカウンターに出る作戦が成功し、1―0の大金星を挙げた。得点は、左サイドのFKをゴールマウスで競り合い、頭に当たって高く上がったボールに、オマン・ビイクがマーカーのセンシーニより速く反応。高くジャンプして、頭で叩きつけてゴールへ落とした。最初の競り合いでボールのコースが変わったため、GKプンピードの動きが遅れ、オマン・ビイクのヘディングシュートはセービングしようとしたプンピードの足のそばを抜けた。
ヌコノのアクロバチックな守りと同様に、ボールのコースが変わったときの反射的な動きの速さと、驚異的なジャンプ力が生んだゴールといえる。この試合で、カメルーンの二人の選手、カナ・ビイクとマッシンがレッドカードの退場処分となり、タイムアップ直前には9人で戦う不利をも切り抜けた。
サッカー後進地域の代表チームは、強化の第一歩として守りを固めること、特に組織的な守りということから手をつける。
今回のチームはソ連人監督によって、まず防ぐことを身につけた。一般的にはもうワンランク上のチームになるために、攻めを身につけるのが実はたいへんなのだが、カメルーンのプレーヤーは、ボールの持ち方にバリエーションがあったため、相手ゴール前へ人数を送りこめば、それだけで大きな脅威となった。
前回の1986年メキシコ・ワールドカップで、西ドイツと対戦したモロッコの堅い守りを見た(1―0で西ドイツの勝ち)が、今回のカメルーンはボールの持ち方が変化に富んでいたため、攻めも一本調子にならず、タイミングが多彩で、相手を惑わすことができた。
カメルーンはB組の第2戦を
2―1 ルーマニア
と勝って2勝目を上げ、決勝トーナメント進出を決めた。第3戦は
0―3 ソ連
と敗れたが、決勝トーナメント1回戦は
2―1 コロンビア
と南米の一角を崩し、準々決勝でサッカーの母国イングランドと対戦
2―3 イングランド
と惜敗した。
このカメルーンの上位進出に大きく貢献したのが、38歳のミラだった。彼はルーマニア戦の58分に交代出場して、78分と87分にゴールを決めた。コロンビア戦には54分から登場。0―0の延長になってから106分(延長後半1分)と108分(延長後半3分)に2ゴールを奪った。38歳のプレーヤーがワールドカップで得点したことが一つの記録として残るが、コロンビア戦の2点目は、GKイギータがペナルティーエリアの外でボールを足で処理したのを奪ったもの。狙いの確かさと、素早さを持っている証だった。
(サッカーダイジェスト1991年6月号)