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1954年スイスW杯「バトル・オブ・ベルン」

 マラカンナの悲劇から4年後、1954年ワールドカップがスイスで行われた。アルプスの小さな国に世界各地域予選を勝ち抜いた強豪が集まった。
 ブラジルは南米予選でパラグアイ、チリと組み4戦4勝した。スイス大会の1次リーグは4チームずつの4組みに分かれて行ったが、総当たりではなく(日程の関係で)1チーム2試合。メキシコに5-0、ユーゴと1-1のブラジルは、フランスに勝ち(1-0)、ブラジルと引き分けたユーゴとともにベスト8へ進んだ。
 準々決勝の相手は2年間無敗のハンガリー。1952年ヘルシンキ五輪のチャンピオンは、その前年にウェンブリーでイングランドを6-3で破り、サッカーの母国に初めてホームでの敗戦を味わわせ“偉大なマジャール人”と高く評価されたチーム。主将のプスカシュはケガのため戦列を離れたが、ヒデクチを軸とするFWの攻撃力は鋭く、ブラジルは前半の10分で2点を失う。ブラジルもCFインディオが倒されたPKで1-2と迫り、後半に主将ピネイロのファウルからPKで3点目を奪われるが、ジュニンリョの突破とシュートで再び1点差に追い上げる。
 雨のため、滑りやすく、互いのタックルは、反則気味となって選手たちはエキサイトし、N・サントスとボジク(ハンガリー)がケンカを始め、エリス主審によって2人とも退場。互いの敵意はいよいよ高まり、ブラジルはFWトッシがキッキングの反則で退場して9人。コチシュに4点目を決められた。
 さらに試合後は更衣室での乱闘という付録も付いて、この試合は“バトル・オブ・ベルン”と呼ばれたが、ブラジルはその個人技の高さに敬意を受けながら、5回目のワールドカップも、また優勝できぬままに終わった。
 彼らが、技術だけでなく、メンタルな面でも王者になるためには、なお4年の歳月と、“神の子”ペレの出現が必要だった。

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