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1986年メキシコW杯「困難な状況での準備」

 1986年のメキシコ・ワールドカップは本大会24チーム制が軌道に乗った大会であり、マラドーナという久しぶりのスーパースターが生まれた大会。テレビ放映の面でも、コマーシャリズムの面でも大きな成功を収め、ワールドカップが新しい時代にも、オリンピックと並ぶビッグイベントであることを、改めて世界に示した。

 前号で述べたように、もともとコロンビアで開催になっていたのを、同国が返上したため、1983年5月に代替の開催地としてメキシコを選んだのだった。

 二度目のワールドカップ招致を決めたころは、デラマドリ政権の経済政策を奏効してプラスに向かいつつあったときだが、ワールドカップ開催決定後、85年に原油価格の下落があったうえ、9月19日の大地震が首都メキシコシティを中心に大きな被害を及ぼした。死者8000人、40億ドルにのぼる損害といわれた。86年大会の取材のときにも、倒壊したままのビルをずいぶん見て、その被害の大きさを改めて知ったのだが、そんな困難な状況のなかでも準備は進められた。

 1982年のスペイン大会から、本大会の参加が24か国となり、ために試合数が32から52と大幅に増えた。日程は8日増えるだけなので、会場が一気に倍以上になる。

 大会会場となった都市は、首都のメキシコシティとその周辺のネサワルコヨトル、トルーカ、メキシコ高原盆地から南へ高い峠を越えるプエブラ、西北のケレタロ、イラプアト、レオン、グアダラハラの各市。さらには遠く1000キロ近く離れたモンテレーと、それぞれが特色を持つところだった。

 会場都市の人口や高度、そして競技場の収容人員を書きあげておくと次の通りになる。

〔メキシコシティ〕

人口1900万人高度2278メートル

◇アステカ10万8000人収容

◇オリンピコ7万2200人収容

〔ネサワルコヨトル〕

人口272万人高度2238メートル

◇ネサ86 4万人収容

〔プエブラ〕(130キロ)

人口140万人高度2152メートル

◇クアウテモク4万700人収容

〔トルーカ〕(70キロ)

人口45万人高度2651メートル

◇トルーカ4万人収容

〔レオン〕(285キロ)

人口70万人高度1885メートル

◇レオン4万人収容

〔イラプアト〕(220キロ)

人口33万人高度1725メートル

◇イラプアト4万人収容

〔グアダラハラ〕(593キロ)

人口100万人高度1575メートル

◇トレス・ド・マルソ4万人収容

◇ハリスコ6万6200人収容

〔ケレタロ〕(220キロ)

人口41万人高度1816メートル

◇コレヒドーラ4万人収容

〔モンテレー〕(964キロ)

人口296万人高度583メートル

◇テクノロヒコ4万人収容

◇ウニベルシタリオ4万5000人収容

 1970年のワールドカップから、カラーのテレビ中継が可能となり、テレビ・コマーシャルの分野が大きく進展した。

 82年スペイン大会で90億人がテレビ観戦した決勝は126か国に中継されたが、二度目のメキシコ大会は150か国を越え、のべにして120億人を突破すると見込まれていた。サッカーに関心の薄いアメリカ合衆国でさえ合計7試合を全米に、スペイン語のスパニッシュ・インターナショナル・ネットワークは、もちろん全試合を放映する。

 場内の6万〜10万の観衆の目にふれるだけだった場内看板は、世界中の人たちの目に飛び込むことになる。企業にとっては新しいマーケットへの、自分たちのロゴ浸透に役立つと考えるはずだ。

 こういう考え方に立って、大会の収入は、

◇入場料収入◇テレビ放映権◇広告料収入

 の三本柱となる。

 テレビ放映権料は、オリンピックをはじめアメリカン・フットボールのスーパーボウルや野球のワールドシリーズなどに比べるとだいぶ安くて約50億円。これはサッカーという競技の性格上、ハーフタイムまでの45分はコマーシャルを流す時間がほとんどないため。そしてまた、世界154か国が受像するのだが、なかには国営でコマーシャルが少ないこともある。

 それでも90分のゲームのうち、7分半に1回、企業名や商品名が出るというので、やはり効果は大きいとみるところもある。


(サッカーダイジェスト1991年12月「蹴球その国・人・歩」)

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