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「ペレってだれだい」から28年

 「ペレ? ペレってだれだい?」ー今から28年前の1964年、あの東京オリンピックの年の2月18日付け朝日新聞に、こんな見出しの記事があった。EPS特約「アメリカスポーツ通信」、テッド・モーゲン記者の記事で、内容はペレがいかに世界で人気があり、高額を稼ぐかという話なのだが、「ペレってだれだい」という見出しが、世界で最も盛んなサッカーについて知ることの少ない日本にもぴったりだった。
 それから28年、今年の11月26日付けの週間文春の「BUNSHUN VIP ルーム 8,000字インタビュー」にペレが登場していた。
 週間文春のように広い層に読まれる一般雑誌が、サッカーの元スターをとりあげるのに「ペレってだれだい」といわなくてもよくなった時代の推移、日本でのサッカーの普及を思った。同時に、プロ選手としてキャリアをとっくの昔に過ぎて、しかも、ブラジル代表の監督でもなく、強チームのコーチでもないペレが、なお世界各地で注目され、世界各国のマスコミが彼にインタビューを申し込むところに、エドソン・アランテス・ド・ナシメントの偉大さを改めて知った。
 ことしの6月のヨーロッパ選手権取材でスウェーデンに滞在していたとき、ヨテボリで大会関係者が私に「あなたが絶対に喜ぶ人に会わせてあげる」といって、スカンディック・クラウン・ホテルの一室に案内してくれた。その部屋の前には10人以上のカメラマンやテレビのスタッフが待っていたが、その間を通ってドアを開けると、そこにはペレがいた。どこかのテレビ局のビデオ撮りらしく、マイクを差し出されている。私の顔を見て、カメラマンを手で制して立ち上がり、手を握って、肩を抱いてくれた。
 「カマモトの引退試合のときは、わざわざ来てくれてありがとう。2002年ワールドカップ日本招致のパーティーのときには、私は東京へ行けなかったので、会えなかった」という私に「あなたのことは覚えています。カマモトとは、この前会いました。近く、日本へ、やはり2002年のことでもう一度、行くのですよ(青森での誘致アドバイザーとして)」といった。
 録画撮りの最中に、予告もなしに入った、それも、それほど深いつき合いではない一人のライターに、カメラマンを制して立ち上がり、挨拶をするところがやはりペレ...。
 私は、いつだったかベッケンバウアーが尊敬するサッカー人はと聞かれて、すぐに「ペレ」という返事がかえってきたこと、ブラジル代表のソクラテスも「憧れ、尊敬するのはペレただ一人」といったことを、このときもう一度思い出した。

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