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1986年メキシコW杯「ユーゴのコーチを起用」

 どれだけ世界からスターが集まっても、開催国のチームが1勝もできないようでは心もとないし、サポーターもスタジアムへ足を運びにくい。

 1958年の第3回アジア大会(東京)での日本サッカーがそうだったし、1979年のワールドユースも1次リーグで敗退した。

 メキシコは、70年大会では1次リーグ2位になって準々決勝に進出、86年は1次リーグ1位で決勝トーナメントに進み、1回戦を勝って準々決勝で西ドイツに0−0、PK戦で敗退したが、ベスト8に残っている。

 この好成績の原因のひとつに、ユーゴ人監督のボラ・ミルティノビッチを挙げられる。ユーゴのバルチザン・ベオグラードの選手で、サッカー一家の出身。選手として兄ほどのキャリアはないが、ユース代表に選ばれ、のちにフランスでプレーしたあと、メキシコのウニベルシダード・アウトノマ(通称UNAM)で18か月プレーした。

 メキシコ女性と結婚し、1977年からUNAMのコーチとなり、2年後に初優勝するなど業績を重ねた。

 メキシコ代表は1982年のワールドカップ予選でホンジュラスとエルサルバドルに負けるという不本意な成績で、代表チームの監督になろうという者はいなかった。

 そこで彼に白羽の矢が立ったのだが、ボラは開催の決まった1983年に長期のトレーニング計画をたて、協会の承認を得た。

 そしてメキシコ・ワールドカップの1年前、85年6月15日から合同練習をはじめ、85−86シーズンは代表選手をクラブのリーグ戦と切り離し、大会までに42の国際試合を行なった。

 遠征やホーム・ゲーム、相手はイタリア、イングランド、西ドイツをはじめ、チリ、ペルー、ソ連、韓国、クウェートなど多彩。サントス(ブラジル)、ナシオナル(ウルグアイ)など名門クラブもあって、成績は21勝15分6敗、61得点33失点だった。UNAMのコーチ時代にジュニアを育成し、ウーゴ・サンチェスを育てたのも彼が代表チームを編成するときにプラスになったが、この思いきった強化策でメキシコ代表はチーム力に自信を持ち、1次リーグを一つひとつ切り開いていった。

 いいコーチとしっかりした長期計画が、結局はチーム強化の道なのだが、このあたりにもメキシコ協会の、86年大会への意欲が現われている。


(サッカーダイジェスト1991年12月「蹴球その国・人・歩」)

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