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1986年メキシコW杯「プレスセンター」

 5000人ものマスメディアの集まる大会で、報道用の取材証の発行から、記事を送るための電話、電信、写真の電送もあればファックスの電送など、仕事はヤマほどある。そうした報道用にプレスセンターを設ける。たいていは公共の建物、展示館といった大きなビルを借り受ける。イタリア90では、各都市の都心には置かずに、スタジアムに隣接してテントのドームを設けていた(ローマは特別)が、メキシコも、スペインも、アルゼンチンも公共の建物を使っていた。メキシコシティのような大都市では、プレスセンターからスタジアム行きのバスが発着するのが普通で、グアダラハラでもプレスセンターとなったホテルからスタジアムまでバスを運行した。

 こうした公共施設を開放するとなると、1スポーツのためにといった考え方ではできない。やはり、サッカーが大衆の競技であり、その世界大会のために、世界中からマスコミが集まる。それに対して報道の便宜をはかるのは当然ということにならなければなるまい。

 メキシコシティのプレスセンターは4階建て(地下2階)で、1階にはテレビ室、カメラのサービスカウンター、旅行案内、銀行、休憩用のロビーがあり、2階にはタイプライター400台を設置したワーキングルーム、テレックス、テレファックスの受け付けカウンター、送信機、そして大会情報をインプットしたコンピュータがあった。

 ワールドカップの記録にコンピュータが導入されたのはスペイン82からだったが、これは過去のデータが入っている程度。毎日のニュースの集積は間に合わず、メディアへのインフォメーションはもっぱらタイプをコピーして回してくれた。

 メキシコ86はゲームの記録、選手の個人記録も記憶され、随時引き出すことができた。ただし、プリンターのスピードが遅く、一人が大量に引き出すと、他の者は待つことになったが…(プリンター台数も少なかった)。

 昨年のイタリア90は、その点、端末の機数も、処理のスピードも格段に進歩していたが、86年のメキシコでのプレスセンターは、当時のスポーツ大会では最先端だったろう。

 82年大会で初めて日本への送信に用いたファックスが、ほとんど役に立たなかったのに、メキシコでは十分に使えた。

 ファックスを送ったあと、係員が点検し、「あなたの会社の機械は、ここと同じくらいよいもんだとみえる。パーフェクトだ」と言っていたのが面白かったが、最新鋭機を使っているという自負があったのだと思う。

 こうした電信機などの進歩はあっても、マスメディアと係員との間に意志が通じなければ仕事にならない。そこに言葉の問題があり、通訳の必要が生まれる。メキシコでは英語を話せる学生が多かったが、なかには一人で英、独、仏、伊、アラビア語、日本語まで(もちろんスペイン語も)話せる通訳もいて、日本のプレスは大いに助かったものだ。

 メキシコに対して、いつまでもわたしがいい印象を持っているのも、こうしたことが重なっているからかもしれない。

 わたしたちは2002年にワールドカップ開催を目ざしている。スタジアムの建設や資金集めは難しいけれど、努力すればあるいはできるかもしれない。しかし、サッカーの大会のために、わざわざ日本へ来てくれる人たちを心から歓迎する“心”があるかどうか。そしてまた、その心を表現できるかどうか―――が大事なポイントだと思う。メキシコに比べて経済力が二十数倍というわが国であればこそ、2002年の開催に向かって、先輩国から謙虚に学びたいものだ。


(サッカーダイジェスト1991年12月「蹴球その国・人・歩」)

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