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ベルティ・フォクツはいい男

 ワールドカップを見て記事を書く。という全く夢のような幸福な日々は、あっという間に過ぎました。7月15日に帰ってきてから、もう2週間もたつのに、まだそのほとぼりは冷めそうにありません。40日間、サッカーとともに暮らした幸せを、皆さんと語り合うために、この連載を始めます。


街角の回想

 大阪の暑い街角を歩いていて、どこか頭の底で、あのスタンド全体を覆うような大歓声が沸いてくるのを感じる。「ベルティ、ベールティ」
 デュッセルドルフで、フランクフルトで、そしてミュンヘンで、巨大なスタジアムを埋めた人達が、小さなフォクツを励ましたあの声援は、今年のワールドカップの一つの象徴だったと思う。私の長いボールとの生活の中で、記者生活で、ワールドカップのスタンドとプレーヤーの心の結びつきは新鮮な驚きで、感動でもあった。


小さなファイター

 ドイツでは、何もかもが快適だったが、一つだけ、すべてのサイズが、私には大きすぎるのがしゃくの種だった。プレスセンターで働く美しいお姉さん達も、釜本君ぐらいの高さが普通で、その美人達が、私の質問に答えるために身を二つ折りに曲げるようにしてくれるのは、全く気の毒やら、体裁が悪いやら……。
 男子用のトイレでも、その便器の位置の高いこと、小用を足すのに背伸びしながら、ドイツの子供はどうしているのかな、と子供にかこつけて、ドイツの大人どもの大きさを呪ったものだ。
 そうしたドイツの大人の中で、ハンス・フーベルト・フォクツは、全く小さい。身長168センチ、背広を着て町を歩けば、たちどころに人混みに没して、探すのに困難になるだろう。そんなフォクツが、ひとたびグラウンドへ現れると、小さな体全身にファイトをみなぎらせたプレーをする。その素晴らしいファイティング・スピリットは、彼の高い技術に裏打ちされ、常に安定した守備と、積極的な攻撃を見せる。


フォクツの真価

 ベルリン・スタジアムでの第一戦(6月14日)以来、彼とブライトナーとベッケンバウアー、シュバルツェンベックで組むディフェンスは、決勝まで変わらなかった。
 チリとのゲームでは、彼は自分の守りの持ち場に余裕があると見ると、味方のカバーに注意し、中央を崩されたピンチを、見事なタックルで防いだ。相手が多少弱くても、彼は手を抜くことはなく、相手が強くなればなるほど、彼も強くなるのだった。
 二次リーグに入って、いよいよ真の強敵との対決が始まってからフォクツの真価が発揮された。
 ユーゴ戦は、西ドイツが、一次リーグと全く生まれ変わったような強いチームであることを見せたが、このゲームでの守りの殊勲者は、疑いもなくユーゴの攻撃のキー・プレーヤー、ジャイッチを完封したフォクツといえた。
 ブラジルを翻弄し、スコットランドを苦しめ、古典スタイルのウイング、タッチプレーのできるウイングとして現在最高、とさえ言われるジャイッチを、フォクツは、容赦なくやっつけた。間合いに入った、と見えたときには、既に、スライディング・タックルをしている、というフォクツの鋭いタックルに、左足のアウトサイドを多用し、変幻自在にドリブルするジャイッチも、全くどうしようもなかった。

 スウェーデンのサンドペリ、ポーランドのガドーハも強敵だった。ポーランド戦は雨上がりの滑りやすいグラウンド条件もあって、フォクツが逆を取られて、シュートされるシーンもあった。
 しかし、フォクツの素晴らしさは、こういう苦境になってから発揮される。前半には二度、ファインプレーで防ぎ、後半3分には、ポーランドがベッケンバウアーの前でロングパスをかっさらって右へ出たときは、フォクツが見事にカバーした。そして今度は、フォクツがラトーに抜かれたピンチには、ベッケンバウアーが文句のないカバーでボールを取る。
 このあたりは、さすがに大したもので、自分の間合いの姿勢の関係で、ボールが取れそうにないと見ても、そのまま強気で一気にタックルを仕掛ける。背後のベッケンバウアーは、タックルに行くフォクツの姿勢を見て、相手のコースを読んでカバーに入る。誠に守りの原則で、しかも理想的なプレーだった。
 自分がマイナスの条件の際にも、必要とあらば積極的にタックルを仕掛ける。そのフォクツの強い気持ちをスタンドはしっかり受け止め「ベールティ、ベールティ」と彼の愛称を呼ぶ。一人が声を上げれば、スタンド全体は即座にこれに合わせ、その声はラインの河畔に響いていた。


双眼鏡のシーン

 このポーランド戦は、ヘルツェンバインのドリブルによって生まれたPKを、ヘーネスが失敗した後、ヘルツェンバインーボンホフーミュラーと繋いだチャンスに、ミュラーが決めて決勝点を挙げた。
 会心のゴールを決めたミュラーが、メイン・スタンドよりのタッチラインへ走り、両手を上げる。それに、ワーッと他の選手が駆け寄って得点を祝福した。いつもながら、見る者の心を浮き立たせるシーンだったが、私の双眼鏡は、もう一つ別の感動を捕らえていた。
 得点の際、スタンドで見ている私は、まず双眼鏡で、シューターと、それへラストパスを出した男を確認するのが習慣だが、私の双眼鏡に入ったのは、ミュラーへラストパスを出したボンホフの、疲れと興奮に青白くなった顔だった。
 シューターのミュラーが勢い良く駆け出したのを、一、二歩追うような格好が見えたが、彼にはミュラーの後を追う気力はなかった。そう、この得点の前、二度にわたる攻撃で、ハーフの位置から長い距離を疾走して、前線に加わったボンホフには、もう得点を喜ぶために走る力は残っていなかった。彼は頭に手をやって、よろよろと歩いていた。
 それを見たのがフォクツだった。ハーフライン近くにいた彼は、皆がミュラーの方へ走るときに、一緒に駆け出そうとした。だが、フォクツは倒れそうな足取りのボンホフをほっておけなかった。ミュラーの方へ踏み出した足を変えて、彼はボンホフに駆け寄り、肩を抱いてやった。
 ミュラーと喜び合う一群にヒーローの感激を、そして、ボンホフと抱き合うフォクツに縁の下の男の感動を、胸に痛いほど感じながら、私は、一人つぶやいたのだった。「フォクツ、君はいい男だ」

 もちろん、フォクツとボンホフは同じボルシア・メンヘングラッドバッハの所属という伏線もあったかも知れない。しかし、絶えず人をいたわり、人をカバーしてゆくフォクツの心に私は、偉大なフットボーラーたる彼の資質の一つを見た。
 この話をミュンヘンのホテルのマダムにしたとき、マダムもまた涙ぐんでこう言ったのだった。
「彼はまさにスポーツマンです。彼のようなプレーヤーがいるから、西ドイツは強いのです。」


クライフをマーク

 マダムの言葉通り、7月7日のフォクツと西ドイツ・チームは、また素晴らしかった。クライフをマークする大役を引き受け、前半1分、クライフのドリブルを止めそこなって、PKのもとを作ったにもかかわらず、彼はひるむどころか右タッチライン際で、二度クライフにタックルを仕掛けた。テーラー主審に二度反則を取られ、二度目は警告の黄色カードを突きつけられた。それでも彼はたじろがなかった。
 スタンドの「ベールティ」の合唱を背に、彼は徹底的にクライフを狙う。そして驚くべきことに、フォクツはクライフを置き去りにして、敢然と前へ飛び出す。それもゴール前でピンチを切り抜けた直後だ。そして、ミュラーとのリターンパス、浮いた球をジャンプして、オランダをかわしてシュートまでした。
 このフォクツのプレーは、オランダに衝撃を与え、ドイツの自信を深めさせた。前半のオランダは益々消極的になり、ドイツは攻撃を続けた。そして四日前、ポーランド戦でフォクツの励ましを受けたボンホフが、マーク相手のニースケンスを置き去りにした長い疾走で、ドイツの2点目をもたらしたのだった。


(サッカーマガジン 1974年9月号)

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