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オランダ 力強さと、速さと、柔らかさ

デパートでの写真展

 九州の南方海域から一旦は中国大陸の方へ向かっていた台風14号が、急に反転して再び四国そして紀州の南方へ移動し始めた8月24日、大阪の阪急百貨店でワールドカップの写真展が始まった。サッカーマガジン提供の西ドイツ対オランダの決勝の名場面、一次リーグ、二次リーグのハイライトのカラー、モノクロ合わせて50余点が展示されて、若者の人気を集めている。
 今度のワールドカップの旅から、私が帰国した途端に写真展の話が持ち込まれ、いろいろ曲折を経た末、阪急百貨店で開催することになったのだった。もちろんデパートは写真展だけでなくスポーツ用具の売り出しも兼ねてのことだが、ともかく、日本が参加している訳でもないのに、こうした写真展の催しができるようになったのは、誠に有り難いことだ。
 大きく引き伸ばしたカラー写真はさすがに迫力があって、私も、何度見ても見飽きないが、何より嬉しいのは、若い女性が熱心に写真に見入り、コメントを読んでくれることだった。いつの日にか彼女たちの息子が、ベッケンバウアーやクライフのようになってくれるかも知れない。


驚きと感嘆

 ヨハン・クライフを初めて見たのは6月15日、それもテレビだった。6月13日にフランクフルトでの開幕ゲーム、ブラジル対ユーゴを見て、翌14日ベルリンへ飛び、そこで西ドイツ対チリを観戦、15日に今度はベルリンからシュツットガルトへ飛んだ。高名なクライフを見たいと、シュツットガルトの競技場へゲーム(ポーランド対アルゼンチン)の始まる3時間前に入って、スタジアムの中のプレス・センターのテレビの前に早々と陣取り、ハノーバーからの中継を見つめた。
 クライフと彼のチーム、オランダは、全く新鮮な感動だった。開幕ゲームでブラジルに失望し、ベルリンの西ドイツ・チームに不満だっただけに、ウルグアイをズタズタに引き裂いたオランダの攻撃と、クライフの一つ一つのプレーは、これこそワールド・クラス、満たされた思いだった。知らぬ間に興奮して足を動かして前の記者に当たったらしい。二度も振り向いて注意される始末だった。
 クライフについては、随分聞かされもしたし、読みもした。しかし、オランダの一人一人がこんなに揃っているとは──。いや、揃っているのも分かる。アヤックスとフェイエノールトは、ヨーロッパのトップ・チームだ。その両チームで編成されているから、粒揃いなのも当然だろう。しかし、これほど速く、これほど柔軟で、これほど華やかな展開をするとは……。


守りを引き出す理想の攻撃

 とにかく驚いたのは、後半ウルグアイが、カスティーヨの反則退場で10人になってからのオランダの攻撃だった。一人足りないウルグアイは、どうしてもゴール前に引っ込んで、守りを厚くし、点を取られまい、という形になってしまう。そのゴール前の密集を破るために、手を変え、品を変え、攻め立てる。そしてバンバン強いシュートを浴びせかける。
 ところが、ウルグアイのマズルケビッチは驚くほどの冷静さと、素早い動きで、オランダのシュートを防ぐ。10分以上、こんな状態が続いて、シューター対ゴールキーパーの戦いはゴーリーの方にやや分があるように見えたとき、オランダは、急にシュートのタイミングを遅らせ始めた。
 それまでシュートをしていた、いわゆる「シュート・チャンス」にもシュートをせず、もう一度、味方へパスをするようにした。守備側の抵抗によってシュートのタイミングが遅れるのと違って、攻撃側が意識的にずらせるのは、守る方にとって大変辛い。ゴールキーパーには精神集中の持続が長引くだけにこたえる。そしてついに、ゴールエリア左角付近でボールを取ったレンセンブリンクにマズルケビッチが飛び出していって、中央のレップが彼のいないゴールへ蹴り込んだのだった。
 相手がゴール前に引き込んでしまったのを引っぱり出して、分散させ、そして最後に誰かがノーマークでシュートするのは、サッカー攻撃を志す者にとっての一つの理想の極致でもある。
 それを、このワールド・カップの高いレベルを相手にして、GKまでつり出したところにオランダのチームの確かさと余裕を推量して、いささか唖然としたのだった。

 オランダ株はこの1勝で急上昇した。
 その後の一次リーグ、対スウェーデン(0-0)、対ブルガリア(4-1)、そして二次リーグでのアルゼンチン(4-0)、東独(2-0)、ブラジル(2-0)の撃破で決勝に出る前に既にオランダはワールド・チャンピオンになったかの印象を多くの人に与えた。


力強さと柔らかさ

 最も二次リーグを見てゆくうちに、オランダの華麗なパス・ワークが、実は、彼らの力強いディフェンスの上に立っていることが分かってきた。必要とあればかなり手ひどいファウルも平気でやるし、当たりは実に激しい。力強さの点では、むしろ西ドイツより上のようにも見えた。
 オランダのスポーツには一連の力の歴史がある。近いところでは日本にも馴染みの柔道のアントン・ヘーシンク、スピードスケートのシェンク。そしてフィギュアのショーケ・ディキストラというような世界チャンピオンを生み出している。
 そしてそれらはいずれも大きくて、力強いチャンピオンだった。女子フィギュアのような一見優美に見える競技の中でもディキストラは、当時、ストロング・スケーターと称されたものだ。

 女子といえば1948年、ロンドン五輪の短距離ナンバーワンとなったブランカース・クン夫人も忘れられないが、彼女もまたストロング・チャンピオンといえた。
 こうした力強さの伝統の上にクライフのような天才的なボールテクニックの持ち主が現れ、その影響によって、全体に速さと、柔らかさと弾力が、彼らのプレーに加わり、クライフを中心として、未来への挑戦ともいえる「全員攻撃のローテーション・サッカー」「トータル・サッカー」へ踏み出したのだった。
 いつでも、何処からでも、どのプレーヤーも攻撃し、どのプレーヤーも守る。オランダのやり方は、ワールドカップの各代表の中で一歩進んだものと人々の目に映った。

 もちろん、その新しいものへの挑戦には不安もあった。クライフにあまりに負担が掛かりすぎるのがそれだった。それが結局、互角の相手、本当に実力のある相手・西ドイツと当たったときに、新しい物が出せないままに終わった理由と言えた。
 更に悪いことには元々、力強さ、空中戦でも、潰し合いでも、自信を持っていたこのチームは、リードされていささか冷静さを欠くと、自分たちの元々の「力」を前面に押し出したのだった。
 決勝後半に見せた、あのもの凄い速さと力の攻撃に、ウルグアイ戦に見せた、柔らかい余裕が少しでも出れば、彼らは彼らの新しいサッカーを確立できたのではないか。
 1974年の夏の惜しむべきオランダ・ナショナル・チームとクライフを、一度見た人は、忘れることはあるまい。


(サッカーマガジン 1974年10月号)

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