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個性とチームワーク


 ことの多かった74年が去り、75年を迎える。新しい年のへき頭に私たちは、ベッケンバウアーとその仲間、バイエルン・ミュンヘンFCを見ることができる。いや、この雑誌が読者の手元に届くときには、多くのファンは国立競技場で、あるいはテレビで、西ドイツのブンデスリーガのスター達をご覧になったことだろう。
 今シーズン前半のブンデスリーガで成績の悪いバイエルン・ミュンヘンが、調子を取り戻して東京でトップ・フォームに近いプレーを展開してくれるかどうか、今は何とも言えないが、どういうゲームであっても、彼らの一人一人の個性の強さ、面白さは、十分味わえる。いや、味わえたことと思う。


個性を見る楽しみ

 ワールドカップでの楽しみは、見事なゲームの展開を見るとともに、世界の頂点にある、あるいは世界の頂点に近いプレーヤーの個性豊かなプレーを噛みしめることだった。
 ジャイッチ(ユーゴ)、リベリーノ(ブラジル)、リーバ(イタリア)、ファン・ハネヘン(オランダ)、オベラート(西ドイツ)などの左利きにしても、左利きという点は同じであっても、そのボールの持ち方は、全く、それぞれの物だった。
 そうした個性という観点からいけば、西ドイツ代表チームは、見事な個性の集団だった。いつもエレガントにボールを止め、エレガントにドリブルし、エレガントにパスを出すベッケンバウアー。彼にあっては、相手とぶつかって、転倒してもエレガントに見える。その隣りに並ぶシュバルツェンベックは、大股で、ゆっくりとボールをキープする。右のフルバックのフォクツは小さくて、すばしっこく、しかも力強い。左のプライトナーの直線的な攻め上がりと強烈なシュート。HBのオベラートは既に日本にもお馴染みで、彼の左足のキープのフォームは一度見れば忘れることはない。ヘーネスやグラボウスキー、ヘルツェンバインといった長いドリブルを得意とする俊足も、そのボールの持ち方は少しずつ違っている。
 この多くの個性が一つのチームの中で、それぞれの機能を発揮する見事さは、全く一つの優れた交響楽団の演奏を聴くようでもあった。

 6月14日、西ベルリンの巨大なスタジアムで初めて西ドイツ代表チームを見てから、ハンブルグ(6月22日)での対東ドイツ敗戦、ニ次リーグを通して、このチームは見れば見るほど楽しみの多い集団だった。もちろん、初めのうちはテクニックをいささか見せようとする気配が強かったり、サッカーには必要な「無理する」気持ちが少なかったりで、必ずしも、すべてのゲームがベストであったわけではないが、試合毎にメンバーの替わる一人一人を見るだけでドイツへ来たかいがあった、と思えるほどだった。
 ただ不思議なのは、クラーマーによって、西ドイツのプレーヤー育成と同じような指導法を受け継いでいるはずの日本に、個性的なプレーヤーが少なく、その本家に、なぜこのように多いのだろうか──ということだった。もちろん、この大会に西ドイツを代表しているのは、サッカー競技の世界でのタレントであり、天賦の才の持ち主なのだと言ってしまえばそれまでだが──。その元は何処にあるのか、彼らのゲームを見た後で、いつも考え込むのだった。


日本語は柔らかい

 きれいな花の植わった庭を前にした、明るいリビングルーム。ゆったりとしたソファーに腰掛けた私たちの会話は、弾んでいた。前号で紹介したシュロッツ氏(前1FCケルン)の自宅。ケルンの大学に留学中のO君の流暢なドイツ語のお陰で、シュロッツ夫妻と私の話題はサッカーから、ドイツの今の若者のこと、日本の若者のこと、果ては戦争中のカミカゼ(特攻隊)の心境などにも及んだ。私より2歳年少のシュロッツ氏はやはり第二次大戦の時にナチス・ドイツのアルバイト・ディーンスト(勤労奉仕隊)の経験があり、年若くして銃を持ったこともあって、同世代の共通の感慨もあった。

 そんな話の途切れにシュロッツ夫人がぽつりと呟いた。「日本の言葉は、猛々しいと思っていたのに、今お二人が話しているのは、とても柔らかく、優しげに聞こえてます」
 日本語が猛々しいとは?といぶかしがる私に、シュロッツ氏が付け加えた。「妻は映画に出てくる日本軍人の命令などの場面を見て、そう思いこんでいたのですよ」
 自分が軍隊にいた30年前、確かに命令の下達、受領で、その通りだったし、更にそれが映画になれば、大げさに表現されることは良く知っていても、さて、そのために、ライン河に近い静かな住宅地モンハイムの一人の主婦に、一つの観念を与えていたとは思いも寄らなかった。


西ドイツでの驚き

 2人の日本人が目の前で喋っているのを初めて聞いた夫人が、日本語のトーンについて新しい発見をしたように、初めてドイツを訪れた私にも幾つかの驚きがあった。その中でも大きな確認は、ここの人たちの郷土意識と、そして「個人」の意識だった。
 ベッケンバウアーがワールドカップで優勝した後に語った「バイエルンのために戦い勝てたのは嬉しい」と言う言葉は、特に郷土意識の強いバイエルン人の気質を表しているが、これが逆に、北方のハンブルグへ行くと「ベッケンバウアーよりウーベ・ゼーラー〔ハンブルグ出身〕の方が偉大だ」と言いきり、6月22日の西ドイツー東ドイツ戦の時には、スタンドから自分たち西ドイツ代表チームの主将ベッケンバウアーをやじる口笛がわき起こることになる。
 フライブルクから来た若いレナー記者は、フライブルクの古い大学と城と、そしてシュワルツバルトの景観を誇りにし、ハンブルクの運転手は、ハンブルクは一番美しい都市だと言い張る。

 あるヨーロッパ通によると、古くから他の民族との交流、多くの国との交流の頻繁なヨーロッパでは、自分たちの地域の独自の生活を守ることが、自分たちの主体性を持つことに繋がったと言うが、こうした郷土意識と個人の結びつきはともかく、一人一人の個人もまた、主体性を重んじるところは、日本とは随分違う。誰も、意見を持ち、主張を持ち、人がこう言うから自分もそうするというように、流れに身を任せるというようなことはない。
 いつも、自分たちの地域を自分の都市をそして自分というものを主張し、その主体性を確認して行く、そんな社会の基礎に立って西ドイツのサッカーは発達したのではないかと思う。

 同じような西ドイツ流のサッカーの指導をしても、受け止める側の気質が違えば、自ずから現れてくるものは違うはずだ。
 個人の主体性の強いここでは、チームワークを強調してもしすぎることはないだろう。
 しかし、本当の意味の個人意識の薄い日本では、サッカーがチームゲームである、を強調するよりも、もっと個人の主体性をアピールする方がベターではないだろうか。
 夫人に別れを告げて、ライン河の土手に近いモンハイムのスポーツ・センターの側をドライブしながら、私はスポーツと人間の気質という、大きな問題に頭を突っ込み、解けない数学に頭を悩ます思いに駆られた。


(サッカーマガジン 1975年2月号)

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